「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように」(エペソ1:18、19)
あるハンターが特殊な能力を持つ猟犬を手に入れました。普通は水辺にいる鳥を撃ち落とすと、猟犬は水にザブンと飛び込んで獲物をくわえて戻ってきますが、この猟犬は泳がないで水の上を走って取ってくるのです。
ハンターは新しい猟犬を自慢したくて、友人を誘って猟に出掛けます。ところが、この友人はちょっとやそっとのことでは驚かない変人です。2人は一日中カモ猟をしました。新しい犬は、カモが撃ち落とされる度に水の上を猛然とダッシュしてカモをくわえて戻ってきました。変人の友人にはそれを見ても驚いた様子もありません。家に帰る途中の車の中で、ハンターは変人の友人に言いました。
「ねぇ!ボクのあの新しい猟犬を見て何か気が付いたことない?」すると変人の友人は言いました。「気が付いていたさ。かわいそうに、お前の犬は泳げないんだな」
世の中には何を見ても、何を聞いても驚かない、感動しないというかわいそうな人間がいます。これは聖書のメッセージに触れたときにも起こることです。聖書のメッセージは驚くべき内容の連続です。
「この世界を造られた、創造主なる神がおられる。『人間が造った神』ではなく、『人間を造った神』がおられる。その神が人となってやってこられた。それがイエス・キリストである。イエスは人間の罪と死の問題を解決するために、私たちの身代わりに十字架で死なれ、3日目によみがえって今生ける神として働いておられる。このイエスがやがて私たちを天国に迎え入れてくださるのである」
聖書のどこを開いても驚くべきメッセージにあふれているのです。しかしこの驚くべきメッセージを聞いても読んでも、何の感動も覚えないし、何の関心も払わない人がいます。パウロはそのような人を「その思いはむなしくなり、その鋭い心は暗くなったのです」(ローマ1:21)と言っています。しかしうれしいことに、聖書のメッセージに驚きをもって聞き、真摯(しんし)に応答し、神の救いを喜んで受け取る人々もいるのです。心の目がはっきり見えている人です。
日本初のドライクリーニング店「白洋舎」の創業者の五十嵐建治さんは、外国では水を使わない洗濯技術があることを聞いて、独力でドライクリーニングの技術を開発、完成させました。1907(明治40)年のことです。
五十嵐さんは1歳の時に両親が離婚。16歳で里親の反対を押し切り、一獲千金を夢見て家を出ます。しかしだまされるなどして挫折し、一文無しとなり自死も考えます。ホームレスのように放浪しているとき、小さな宿屋の前を通り何かに吸い込まれるようにして中に入ります。すると50歳代の婦人が出てきて「お上がりなさい」と言われ、2階の四畳半の部屋に通され、夕食を腹いっぱいごちそうになり、その晩はぐっすり寝込みました。翌朝五十嵐さんは恐る恐る女主人に事情を打ち明けて「どんな仕事でもしますから使ってください」と頼みます。女主人は快く承諾してくれて、五十嵐さんは下働きを一生懸命にしました。
しかし、どうしてみすぼらしい身なりの、素性も分からない五十嵐さんが雇ってもらえたのでしょうか。実は宿の主人は、この時呼吸器の病気で永く患っていて、危篤状態でした。それで女主人は主人の看病にかかりきりで客の方に手が回らず、人手不足だったのです。こうして五十嵐さんは死なずに済んだのです。まさに神の奇しい導きがあったのです。
ある日宿屋の主人の枕元に1冊の聖書があるのを見つけ、好奇心にかられ借りて読んでみたものの、さっぱり分かりません。女主人にそのことを話すと「2階に泊まっている東京のお客さんは耶蘇(やそ)だから聞いてみなさい」と教えられます。そこでその人の所に聞きに行くと、待ってましたとばかりに喜んで教えてくれました。
このお客とは中島佐一郎さんという、毎年北海道に広告用のカレンダーやうちわの注文を取りに来ていたクリスチャンの営業マンでした。この中島さんが語る聖書の一言一言が五十嵐さんの心に染み込んでいきました。
五十嵐さんは自分の罪を示され、そのためにキリストが十字架にかかり死んでくださり、救いの道を開かれたこと、また復活、昇天、再臨についても心を踊らせながら聞いたのです。そして五十嵐さんは、今日までの自分の人生が神の計画と愛の中にあったことを悟ったのです。そして19歳の時、洗礼を受けたのです。洗礼を受けた後、五十嵐さんの意識に大きな変化が生じました。
それまでは到底不可能なことを大言壮語して、人生を真剣に考えてはいませんでした。しかしこれからは、社会のためになるような神に喜ばれる仕事がしたいと思うようになったのです。それは誰かに教えられたのではなく、聖書を読んでいるうちに自然にそう思うようになったのです。
そして29歳でクリーニング店を始めたのです。事業を通してイエス・キリストの福音を伝えたいという思いを、96歳で生涯を終えるまで貫き通したのです。
五十嵐さんの人生を見るとき、キリストとの出会いが大きく変えたことが分かります。しかしそれは、五十嵐さんが聖書の言葉に触れたとき、心の目が開かれて、その真理を受け入れ、その真理に生きることを決心したからです。
心の目が開かれていることは何と幸いなことでしょうか。
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