歴史学者で『ドミニオン:キリスト教的革命はいかにして世界を再構築したか』(英語)の著者であるトム・ホランド氏が、ロンドンの大英図書館で行われた迫害支援団体「オープンドアーズ」主催の講演会にゲストスピーカーとして参加し、迫害下にある世界のキリスト教徒の苦しみを直接目の当たりにすることの深い影響について語った。
欧米のキリスト教徒が「脱欧米化」するにはどうすればよいかについて、ホランド氏は「欧米以外の国にいるキリスト教徒」や「彼らが提供してくれるキリスト教の視点について考えること」が一つの方法だと述べた。
一方、欧米人が「再キリスト教化」するにはどうすればよいかという問いに対しては、やはり同じことが言えるとし、イラク北部を訪れた際に過激派組織「イスラム国」(IS)によるキリスト教徒やヤジディ教徒に対する迫害の凄惨な光景を目の当たりにして、自身も再キリスト教化を経験したと語った。
ホランド氏は、こうした地域を訪れたことで、それまで漠然と理解していたキリスト教の教えや生活様式に命が吹き込まれたと語った。「キリスト教史のテーマでもある迫害の連鎖が、これまでになかった在り方で鮮明に感じられたのです」。特にヤジディ教徒の男性がISによってはりつけにされた場所を訪れたことで、十字架刑に対する理解が変わったという。
この体験によってホランド氏は、世界の「現実」を新たな形で理解できるようになったと話す。十字架は強者が弱者を拷問し、苦しめ、殺すことの象徴であるが、キリスト教社会で育った自身にとって、十字架は本能的にその反対の役割を果たしていたことに気が付いたという。「十字架は、実際には、力のない者が力のある者に勝利し、奴隷が主人に勝利し、十字架を宣告された男が宣告した国家機関に勝利するものであることを再確認させてくれました」
「今日のあらゆる物事の中で、十字架が人類の文化が育んできた文化的シンボルの中でも最も認識しやすいものだということが、また、十字架が象徴するものが力ではなく、それとは逆に被害者が勝利を収めることを象徴するということが、どれほど奇妙なことであるかを適切に理解するには、(当時の権力者であった)ローマ人の立場に立って考えなければいけません」
さらにホランド氏は、初期のキリスト教徒が見たであろう十字架刑の苦しみや屈辱、また「奇妙さ」を、今日の教会は受け入れるべきだとし、「私たちは文化的にそのことに鈍感になっています」と述べた。
そして教会は、「(英国の)自由民主党の政見放送で聞くような話、つまり『今日の考え』(原題:Thought for the Day、英BBCラジオの宗教番組)のような話」ばかりするのではなく、むしろキリスト教信仰の霊的かつ「超自然的」な側面を「少しも恥じることなく」活用すべきだと勧めた。
「教会は最も奇妙で、最も反文化的で、最も独特なものをすべて主張しなければならないと思います。御使いに関する話をみな捨ててはいけません。それを大事にしてください」
そうすれば欧米のキリスト教的伝統と、人権を重視することとの関係を再構築することができるとホランド氏は強調した。
「中国やその他の文明国の台頭は、人権という概念がキリスト教という非常に特殊な文化的基盤の中で生まれたものであることを再認識させてくれます。そしてそれ故に、人権を信じたいのであれば、キリスト教を信じなければならないということを再認識させてくれます」
「主イエス・キリストが死からよみがえったことを信じるのに信仰による飛躍が必要であるように、人権というものがあることを信じるのにも信仰による飛躍が必要です。どちらも信念なのです」
「自分自身を道徳的に定義する中核的な信条が信仰に根ざしていることを人々が思い起こすとき、世俗主義者は自分たちが信仰の必要性から何らかの形で解放されたわけではないことを認識する可能性が出てきます」
その上でホランド氏は、欧米人の再キリスト教化に話題を戻し、「私たちの直感は、文化的に最も影響力のあるすべての物語に深く根ざしていることを再認識する必要があります」と述べ、「これこそが源泉なのです」と語った。
「しかし、もし欧米のキリスト教徒が脱欧米化を望むのであれば、自分たちが信じていることがいかに奇妙であるかを思い出す必要があると思います。その奇妙な感覚こそが、おそらく教会にも、また人間主義的で世俗的で不可知論的な世の中にも欠けているものだと思うのです。この世がそう考えることになった前提や心の姿勢は、実にキリスト教的であったのですから」
「そしてそれには、キリスト教徒であろうとなかろうと、欧米以外の国のキリスト教徒の苦しみが助けになる部分だと思います。信仰のために苦しみ、おそらくは死ぬこともいとわない人々を目の当たりにするなら、この原始的な奇妙さの感覚によって信仰を再生できると思います」