今回も引き続き、「霊・魂・体」の魂に関してお話を続けたいと思います。私たちの信仰生活を決定付けると言っても言い過ぎではない、魂、つまり、心、考え方、感情をどのようにして養い、神様が喜ばれる正しい決断をし続け、豊かな、栄える信仰生活をこの世の中でも歩み続けることができるのでしょうか。次回からの体にもつながりますが、私たちはどのような姿勢でお祈りをしているでしょうか。より良いお祈りの仕方があるのです。その祈りは神様を通して知り、学ぶことができます。
「神は『光あれ』と言われた。すると光があった」(創世記1:3)
私は日本各地の多くのクリスチャンの方々と出会い、交わり、信仰を分かち合う機会に恵まれました。その中で、多くの信徒たちは、神様に動いていただくために、何とか頑張って必死で祈るという姿勢でお祈りをしていました。私もそのようにお祈りしていました。遠く、高い所におられる神様に、何とか動いていただこうと必死でお祈りしていたときを思い出します。外から見ると、何と素晴らしく熱心な信仰の持ち主だろうと見られていたと思います。断食を通してさらに気分が高揚し、いよいよ自分の信仰の見せ所であるかのように振舞っていたときもありました。しかし実際には、熱心な信仰とは正反対であったことが分かったのです。なぜでしょうか。おそらくほとんどのクリスチャンがこの状況に気付かず、ブレイクスルーを体験できずに苦しんでいるのも、私は知っています。
まず、神様が天地万物を創造されたときには、どのようにされたでしょうか。神様は、光が創造されるように「光あれ」と御言葉を発せられました。私たち人間も、神様に似せて創造されていますから(参照・創世記1:27)、同じように命令口調で言葉を発することによって、物事が成就されるのを見ることができるのです。このような説明を読むと、いよいよおかしくなってきたなと思われる方がおられるかもしれません。しかし、本当におかしいのは私の考え方でしょうか。聖書で書かれている神様は、請い求めるのではなく、権威をもって命じ、物事を創造されたのです。さらには、神様は私たちに、神様のように振る舞うようにと聖書を通して教えられています。
「こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい」(エペソ5:1)
会社の嫌な人間関係に置かれたときに、私たちはどのようにお祈りするでしょうか。「神様、どうか私を助けてください! あの嫌な人が、別の部署に異動になりますように!」とお祈りすることが間違っているとは言いません。正直な気持ちを伝える祈りもあるでしょう。しかし、キリストが十字架に架けられ、勝利者以上の存在である(参照・ローマ8:37)現代の信徒たちには、もっと素晴らしいお約束、神様の権威が与えられているのです(参照・ルカ10:19)。つまり、「私に悪態を付く、会社の人々に取り付く悪魔よ、離れなさい!」と祈り、命じることが、神様が私たちにご期待されている祈りなのです。私たちの敵は人間ではなく悪霊であり、暗闇の権威なのです(参照・エペソ6:2)。どんなに嫌な相手でも、その人を取り巻く悪の力が私たちの敵であり、その敵は私たちの足元で神様により潰されている(参照・ローマ16:20)のであれば、私たちの心は守られます。私たちは、キリストと共に天の領域で座し、安らいでいるのです(参照・エペソ2:6)。このようにして考え方を変えると、豊かな信仰生活の鍵は、私たちの考え方を変えることにあるのがお分かりでしょう。勝利者以上の存在として歩み続けましょう。そしてどんなに嫌な人にも、良い心をもって接することができるようになるのです。信徒たちのすべきことは、目の前に立ちはだかる山が動くように山に命じることです。神様任せにするのではないのです。神様に与えられた権威を用いることなのです。
「よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう」(マルコ11:23)
神様任せにしない祈りを奨励していることを読み、さらにおかしい方向に進んでいると感じる方がいるかもしれません。しかし、そのような方々にお勧めするのは、キリストがどのようにお祈りをされたかを聖書で確認することです。前述の通り、神様に倣うように信徒たちは教えられていますから、キリストが人々を癒やされたように、経済的に養われたように、祈り、言葉を発することが大切なのです。キリストは天の御父に請い求めたでしょうか。それとも、感謝の心をもって、与えられた権威をもって命じ、導いたでしょうか。この点に関してご理解いただけたなら、霊的なブレイクスルーを体験できることでしょう。私自身、家庭や職場で、何度もこの恵みに授かりました。素晴らしい恵みです! 神様により頼むということは、御言葉のお約束に信頼を置くということです。すべてを神様任せにするということではないのです。
「だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」(エペソ6:13)
次回からは、「霊・魂・体」の体に入りたいと思います。既に体に関しては触れている箇所もありますが、証しを交えながら、より具体的にお話ししたいと思います。次回をお楽しみに!
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