インドでは、新型コロナウイルスによる甚大な被害が出る中、キリスト教徒への迫害が続いている。迫害監視団体によると、過激なヒンズー民族主義者らが最近、牧師の父親を射殺する事件が発生した。牧師の自宅を襲撃した民族主義者らは、剣や鎌を振り回して牧師や他の家族も襲ったという。
迫害監視団体「国際キリスト教コンサーン」(ICC、英語)によると、ヒンズー民族主義者の男ら15人が5月18日、インド北西部ラージャスターン州バーンスワーラー県にあるラメシュ・ブンバリヤ牧師の自宅を襲撃した。襲撃の理由は、ブンバリヤ牧師一家がキリスト教信仰を放棄することを拒否したためだという。その際、暴徒の一人がブンバリヤ牧師に銃を向けた。しかし銃弾は発射されず、代わりにブンバリヤ牧師の父親であるビーマ・ブンバリヤさん(52)に銃を向けたところ銃弾が発射され、ビーマさんは死亡したという。
ICCによると、ビーマさんが地面に倒れた後、ブンバリヤ牧師は殴打され意識を失った。ブンバリヤ牧師と家族の他2人はウダイプル市内の公立病院に搬送されたが、病院は新型コロナウイルス対策の規則を理由に受け入れを拒否。その後、別の私立病院で受け入れてもらうことができた。
幾つかの「家の教会」を設立し、根拠薄弱な強制改宗の疑惑に直面しているブンバリヤ牧師は、「私が生かされていることには、神の明確な目的があると信じています」と語る。
「私は、神が私に与えてくださった奉仕を続けていきます。私たちは、信仰のためにすでに多くのことを放棄しました。迫害者たちは私たちの農地を奪い、家を破壊し、今度は私たちの命を狙っています。私は家族や子どもたちのことが心配です。私がいなくなったら、彼らはどうなってしまうのでしょう」
2014年の総選挙で与党・インド人民党(BJP)が勝利して以来、インドではキリスト教徒に対する攻撃や信仰の制約が増してきている。今年2月には、東部ジャールカンド州のキリスト教徒らが、無許可で教会を建設して人々をキリスト教に改宗させたとして、過激なヒンズー民族主義者らの攻撃を受け負傷し、入院する事件が発生した。
国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は最近の報告(英語)で、ナレンドラ・モディ首相率いるヒンズー至上主義政党であるBJPによって、現政府に偏見が組み込まれ、警察や裁判所などの「独立した機関にますます浸透し、民族主義者のグループが宗教的少数派を平気で脅したり、嫌がらせをしたり、攻撃したりするための力を与えている」と警告している。
迫害監視団体「殉教者の声」のラジオ司会者であるトッド・ネトルトン氏は、クリスチャンポストとの以前のインタビューで、インドには厳格な改宗禁止条例があり、モディ首相とBJPの影響により迫害が増加していると語っていた。
「2014年に与党BJPが政権を取って以来、キリスト教徒に対する事件は増加しており、ヒンズー過激派たちはしばしば、何の懲罰を受けることなくキリスト教徒を攻撃しています」。別の迫害監視団体「オープンドアーズ」は、迫害がひどい50カ国をまとめた「ワールド・ウォッチ・リスト」(英語)で、インドの状況をそのように報告している。同リストでインドは、世界で10番目に迫害がひどい国とされている。
「ヒンズー民族主義者らの見解では、インド人であることはすなわちヒンズー教徒であることで、キリスト教を含む他の信仰を持つ人々は非インド人と見なされます。同様に、部族の宗教であるヒンズー教からキリスト教に改宗した人も、家族や地域社会からしばしば極端な迫害を受けます」
インドは昨年、米国際宗教自由委員会(USCIRF)の代表者らに対する入国ビザ発行を拒否した。USCIRFは、インドを信教の自由において「特に懸念のある国」と指定するよう、米国務省に勧告しており、代表者らはイスラム教徒やキリスト教徒に対する迫害について現地で調査する予定だった。
「北米インド系米国人キリスト者連盟」(FIACONA)は当時、クリスチャンポストの取材に対し、インドが昨年、米国務省により「特に懸念のある国」に指定されなかったことに「深く失望した」として、次のように述べていた。
「インド政府は、宗教的少数派やその礼拝所への暴力を処罰せず、その継続を許し、ヘイトスピーチや暴力の扇動に自ら関与し、また容認しました。ヒンズー民族主義者のBJPが率いるインド政府は、インド国内のキリスト教徒に対するこのような暴力はすべて個別の事件であり、決して政府の方針によるものではないと都合よく主張し続けています」
宗教上の制限がある国を20カ国以上訪れ、迫害に直面するキリスト教徒数百人にインタビューしてきたネトルトン氏は、迫害下のキリスト教徒が最初に求めるものは祈りだとし、次のように語った。
「確かなのは、彼らの祈りは、もう苦しみたくないとか、国が自由になって教会が活動できるようになってほしいというものではないということです。むしろ彼らは、迫害や苦難にもかかわらずキリストへの信仰を守ることができるように祈ってほしいと、私たちに求めるのです」