さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。「神の御使いはみな、彼を拝め。」また御使いについては、「神は、御使いたちを風とし、仕える者たちを炎とされる。」と言われましたが、御子については、こう言われます。「神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました。」またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。(ヘブル1:6〜14)
もし、私たちが多くの富を相続できると聞かされたなら、さぞかし素晴らしい高価な遺産相続だろうと想像すると思います。しかし、相続するにはいろいろな条件があるので、弁護士などに相談する必要があります。
聖書において、相続に関する記事は星の数ほどあります。なぜなら、福音の本質が御国相続だからです。
1. 御子と仕える者
さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。「神の御使いはみな、彼を拝め。」また御使いについては、「神は、御使いたちを風とし、仕える者たちを炎とされる。」と言われましたが、御子については、こう言われます。「神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました。」(ヘブル1:6〜9)
神は、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。「御使いはみな、彼を拝め」。「御使いたちを風とし、仕える者たちを炎とされる」。神は御子を世に送るときに御言葉を聖書に残し、人になった御子を拝むように御使いたちに仰せられ、見えないが力ある風のように御使いたちを用い、キリスト者たちを聖霊の火で炎のように用いるのです。
神は、御子についてはこう言われます。「あなたの御座は限りなく、御国の杖こそまっすぐ。あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、あふれる喜びの油を、ともに立つ者にまして注ぎなさいました」(詩45:6、7)。神は、世に送った御子に対し御言葉を詩篇に残し、御子としての神格は永遠であること、御子の御国は真理であることを示されました。御子は義を愛し不正を憎まれ、十字架の死にまで従ったので、御使いたちよりも神の油が注がれ、満たされました。
御子キリストは、人の子イエスであるとき御使いに守られる身でしたが、神は「彼を拝め」と命じ、うわべが人でも御子であることを知らせました。御子は、義と公正により救いを達成した御国の統治者であり、あふれるばかりの神の力である油が注がれていることを知らせています。
御使いについては、人の目には見えないが神の力ある働きをするという性質を知らせています。キリストにある奉仕者たちは、以前、不信仰で不義なる者でしたが、聖霊による信仰の義人として情熱的に神に仕える者とされると、キリストの弟子としての性質を知らせています。
2. 変わることがない
またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」(ヘブル1:10〜12)
「主よ。初めに地の基を据えられ、天も、あなたの御手のわざです。これらのものは滅び、しかし、あなたはいつまでもながらえ」(詩102:25〜27)とあります。主キリストは初めに天地創造をされ、地に来られ十字架の死と復活により天地の統治者となりましたが、再臨後の最後の審判の後に天地は滅び去ります。
「すべてのものは着物のように古び、あなたはこれらを、外套のように巻かれ、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、年は尽きることがありません」とあります。神のご計画において、今の天地万物は計画の一つの時代が終わると古いとされて捨てられ、次の時代として新天新地が創造されます。しかし、被造物世界に含まれない神は、永遠に変わることのない統治者なのです。
聖書66巻に書かれている神の言葉には、御心と真理とご計画のすべてが書かれています。旧約聖書39巻に書かれている、律法を守ることによる義の時代は、御子イエス・キリストによる十字架の死と復活によって成就され、イエスをキリストと信じる信仰による義の時代に取り替えられました。
かつて、神によりキリストを通して律法が制定され、人は律法を守ることによる義で罪赦(ゆる)されましたが、キリストの死によって律法が成就され、罪から解放されました。今は、イエスをキリストと信じる信仰の義により御国を相続します。
新約聖書27巻に書かれている、キリストによる救いの福音を信じる信仰者は、主キリスト・イエスの再臨を待ち望む者とされ、今の天地が滅びて新天新地が下って来ることを待ち望む者とされます。
御子キリスト・イエスは、昨日も今日もいつまでも永遠に変わらず、私たちの救い主であり、いのちであり、主の主、王の王であり、御国の統治者で、新天新地の主です。
3. 救い
神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。(ヘブル1:13、14)
「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていなさい」(詩110:1)とあります。これは救いの相続に関する預言であり、父なる神の計画通りに、御子キリスト・イエスの敵サタンを地の下に閉じ込めるまでは、相続した天の御座で御国完成を目指しなさいということです。
「御使いは、仕える霊で、救いの相続者となる人々に仕える」とあります。御使いは、御国に入って救いの相続者となる人々に仕える霊だということです。
御子キリスト・イエスは、御国の御座を相続し、信じるキリスト者たちは御国に入る救いの相続者となり、御使いたちは御子に仕え、神の力技を行い、キリスト者たちに仕え、救いを達成させるのです。
まとめ
- 御使いの奉仕者としての立場や役割、御子キリストの受肉・復活・昇天・再臨における御使いに勝る卓越性。
- 復活・昇天・着座という、イエスは全世界の永遠の王として父に油注がれた方、御子キリスト。御子の神と世に対する関係において、義を愛し、不正を憎まれ、十字架の死に至る究極の犠牲。聖書に書かれたご計画において、被造物世界の有限性と御子の永遠性と主権性が強調。
- 御使いはその名が示すように、神と人とに仕えるために遣わされたが、それとはまったく対照的に、御子は御国を相続し王座につき、御国を相続したキリスト者と共に御国を永遠に統治する方。
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