日本カトリック正義と平和協議会の全国会議基調講演会「コロナの時代と教会」が19日、オンラインで開催された。同協議会の発足50周年を記念するもので、新潟教区の成井大介司教、著述家の栗田隆子さん、イエズス会の下川雅嗣(まさつぐ)司祭の3人が登壇。コロナ禍によってあらわになった社会の歪みなどについて各自の視点から語り、意見を交わした。
「いのちは大切にされて当たり前」という社会に
カリタスジャパンの担当司教でもある成井大介司教は、昨年9月に新潟教区の司教に着任したばかり。それ以前は、神言会のローマ総本部で正義と平和部門の責任者を務めており、昨年3月10日に世界で初めて国全体のロックダウン(都市封鎖)を実施したイタリアでの経験を分かち合った。
ロックダウンが始まった当初は政府もすべてが手探りで、数日おきに新しい規制が発表される非常に混乱した状況だったという。働くことができたのは、農業や医療など「エッセンシャルワーク」と呼ばれる仕事に従事する人のみ。食料品の購入など必要な外出は認められたが、必ず外出の目的を書いた証明書を携帯する必要があった。イタリアでは多くのカトリック司祭、修道士が感染により亡くなったが、成井司教の知り合いの中からも犠牲者が出たという。
ロックダウン中は、慈善団体の多くが活動を停止したことで、食料を得られなくなったホームレスがシェルターに駆け付けた。また、移民や難民など特に社会的に立場の弱い人たちが真っ先に仕事を失っていった。そうした中、神言会は毎週木曜日に行っていたホームレスへの食料配布をロックダウン中も継続したという。それまで、食料を配るだけでなく「お隣さん」「友人」として会話を交わし、深い人間関係を築いてきたため、「活動をやめるという選択肢はありませんでした」と言う。
成井司教によると、イタリアは慈善活動が盛んで「助けが必要な人がいれば、当たり前に助ける」という雰囲気があるという。警察や近所の人、またホームレスを追い出すよう雇用された警備員でさえ、ホームレスに対する心遣いがある。成井司教は、こうしたイタリアでの体験に加え、国際的なアドボカシー活動に携わってきた経験も踏まえ、「自分が生きている身近なところ、国際レベルの両方で、『いのちは大切にされて当たり前、いのちのために行動するのは当たり前』という空気、雰囲気をカトリック教会がつくっていければ」と語った。
ジェンダーの視点抜きには見えてこないコロナ禍の貧困
女性の貧困問題や労働問題について新聞や雑誌などで発信している栗田隆子さんは、コロナ禍の貧困について、「ジェンダーの視点だけでは無理だが、ジェンダーの視点抜きには見えてこない」と指摘。特別定額給付金が世帯主の口座に振り込まれる仕組みのため、別居している家庭内暴力(DV)被害者の女性が受給困難となった問題や、看護師の日雇い派遣容認、昨年11月に発生したホームレス女性殺人事件、女性の自殺率増加などの問題を取り上げた。
コロナ禍で重要視されるようになったエッセンシャルワークについて、栗田さんは、あくまで公衆衛生の文脈から生まれた言葉であり、そこで働く労働者の待遇向上を目指して名付けられたものではないと指摘した。ワクチン接種などでは優先されるが、「不可欠な仕事」とされながらも、過酷な労働環境と低廉な賃金の下で働かざるを得ない現状がある。そうした中、コロナ禍で不足が深刻化している看護師について、政府は今年4月から日雇い派遣を解禁する。日雇い派遣は、大量の派遣切りを生んだリーマンショック後、2012年の労働者派遣法の改正で原則禁止とされていた。そのため日本医療労働組合連合会は、「人材不足の根本的原因である労働環境と処遇改善から目を背けるもので、同時に労働者や利用者に一方的な負担を強いるもの」とする反対声明を出している。
栗田さんはこれについて、コロナ禍によりさらに過酷な労働環境で働かなければいけない中、その大半が女性である看護師が、さらに不安定な雇用環境に置かれようとしていると問題視した。また、今年の「世界病者の日」にローマ教皇フランシスコが発したメッセージについても、看護師などのケアワーカーの人材不足に触れながらも、ケアワーカーの大半が女性で低待遇であるという問題には言及がないことを指摘した。
雇用状況については、正規雇用労働者はコロナ禍においても増加傾向にある一方、非正規雇用労働者は減少が続いているという。非正規雇用労働者の約半数はパートタイマーで、4分の1はアルバイト。コロナ禍において、女性が多いパートタイマーや学生が多いアルバイトで雇い止めが集中していることを説明した。
これらの問題を取り上げつつ、栗田さんは、日本には女性を男性よりも下にみなす社会的風潮があると指摘する。家庭において女性は男性に「養われている」とみなされてしまうため、雇用の調整弁として雇い止めが許容されやすく、ケア労働も女性が主な担い手であるため低待遇が放置されている。栗田さんは、こうした日本社会の価値観がコロナ禍で浮き彫りになったと強調。カトリック教会は、こうした価値観を否定するよりも、むしろ肯定してきたのではないかと突き付けた。
社会的弱者がより打撃を受けるコロナ禍
渋谷を中心とした野宿者運動「渋谷・野宿者の生存と生活をかちとる自由連合」(のじれん)で20年以上活動する下川雅嗣司祭は、ペストなど過去の感染症は貧乏も金持ちも差別しないとされてきたが、コロナ禍では社会的弱者がより大きな打撃を受けていると語った。打撃を受けている人と受けていない人の間で格差が拡大し、さらに打撃を受けている当事者にとってはその影響が明らかである一方、当事者ではない人たちにとってはそうした影響が見えづらくなっているのではないかと語った。
野宿者支援においては、昨年4月に初めて緊急事態宣言が発令された際、多くの慈善団体が炊き出しを中止したことなどから、切実な飢えに直面する野宿者が出てきたという。これは炊き出しの中止ばかりではなく、野宿者の収入源となっていたアルミ缶収集の買い取り価格が、中国の廃棄物輸入禁止措置で大幅に低下したことや、東京都が行っている「特別就労対策事業」が緊急事態宣言で中断されたことも影響した。
一方、野宿者に対する差別があらわになったのが、特別定額給付金だったという。国側は「すべての国民」「すべての住民」を給付の対象にすると表明したが、受給するには住民登録が必要で、野宿者の多くは該当しなかった。対象から漏れた野宿者からは「俺は人じゃないんだ」と言われたという。
下川司祭によると、野宿者が住民登録をするのは至難の業。国はネットカフェでも管理者が同意すれば住民登録可能としているが、実際には東京都内で住民登録を認めているネットカフェは一カ所もないという。また、生活保護を受けたとしても、住民登録ができる無料低額宿泊所はごく一部に限られている。総務省に掛け合っても「どこかで線を引くことが必要」と切り捨てられたと明かした。
最後に成井司教のローマでの経験と比較し、「炊き出しをするにしても、ものすごく周りの目が怖かった」と、日本では野宿者や野宿者支援者に対する厳しい目があることを語った。炊き出しにより感染者が一人でも出れば、実施者がすべての責任を負わせられる恐れがある。そのため、細心の注意と膨大な手間暇をかけて感染症対策をしながら炊き出しをせざるを得なかったと振り返った。