世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会が主催する新春学習会「Withコロナを生きぬく慈しみの実践」が25日、オンラインで開催され、NPO法人「抱樸(ほうぼく)」理事長の奥田知志(ともし)氏(日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会牧師)が、基調発題者の一人として語った。奥田氏は、新型コロナウイルス感染症による死者が増える一方、この10年間減少し続けていた自殺者が昨年増加に転じたことに言及。生活困窮者や自殺者が今後さらに増加するのではないかと危機感を示しつつ、「宗教にできることはいっぱいあるのではないか」「宗教は本気で自殺を止めようとしているのか」と投げ掛けた。
生活困窮者支援から見るコロナ禍の現状
奥田氏が理事長を務める抱樸は1988年に活動を開始して以来、ホームレスなどの生活困窮者3400人以上を支援してきた。30年以上の活動を経て、現在は居住支援や就労支援、障がい者福祉など27の事業を展開し、約1500人の登録ボランティアと共に包括的な支援活動を行っている。
生活困窮者支援の視点に立つとき、コロナ禍はウイルスの感染者や死者ばかりでなく、失業者や自殺者の増加にも目が行く。新型コロナウイルスに関連した失業者数は、昨年11月27日時点の集計で約7万4千人。失業者などに家賃相当額を支給する「住居確保給付金」の支給件数は、2019年度が約4千件だったのに対し、新型コロナウイルスの感染が拡大した20年度は4~9月だけで約10万件と、半年間で前年の約26倍に急増した。また、生活資金が必要な人に貸し付ける「緊急小口資金」と「総合支援資金」の貸付件数は、18年度はそれぞれ7145件、421件だったが、20年度は昨年12月2日時点で、それぞれ84・8万件、50・7万件とこちらも激増した。
そして昨年の自殺者数は、警察庁の速報値で2万919人。10年連続で減少していたのが、前年より750人(3・7%)増え、11年ぶりに増加に転じた。男女別で見ると、男性は減少したものの、女性が885人増で全体を押し上げた。月別では10月が最も多く、前年比4割増の2153人。10月は、1日に70人もの人々が自ら命を断ったことになる。奥田氏は、新型コロナウイルス感染症による死者数と比較しつつ、自殺者増加の深刻さを訴え、「女性やもともと困窮している人たちにコロナの影響が直撃し始めている」と危機感をあらわにした。
自殺対策で宗教ができること
その上で奥田氏は、新型コロナウイルス感染症の重篤化や重症者の死を止められるのは医師など専門職に限られるのに対し、自殺の問題は「横着な言い方をすれば、誰でもその気になれば一助になれる」と語った。
自殺対策においては、自殺のサインに気付き、声を掛けたり支援先につなげたりするなど適切な対応ができる「ゲートキーパー」(命の「門番」の意味)と呼ばれる人の存在が大切とされる。そのゲートキーパーに求められるのが、「気付く」「聴く」「つなぐ」「つながる(見守る)」の4つ。以前は社会福祉士など専門職を対象に教育が行われてきたが、奥田氏は「誰でもゲートキーパー作戦」としてその裾野を広げた長崎県の取り組みを紹介。「こういう観点に立つとき、宗教にできることはいっぱいあるのではないか」と問い掛け、「それは難しい教育を受けたり、難しい技術を身に付けたりすることではない。宗教者がすぐにでもしなければいけないことではないか」と訴えた。
また、対人支援の方法には「問題解決型支援」と「伴走型支援」の2つがあると説明。問題解決型支援は、その人が持つ特定の課題の解決を目指すアプローチで、従来から行われてきたもの。一方、伴走型支援は、具体的な問題の解決よりも、その人とつながり続けることを目指すアプローチ。「ただつながり続けることを目指す。これも立派な対人支援」と奥田氏は言う。これら2つのタイプの支援の考えは、4月に改正される社会福祉法においても採り入れられており、宗教活動を行う上でも意識することが大切だと語った。
コロナ禍が教えてくれたこと
コロナ禍において「人は独りでは生きていけない」ことを痛感したと奥田氏は言う。「全員がステイホームをすると人類が滅亡してしまう。なぜなら、アウトホームで働く人々に支えられているから」。しかし現実の社会は、人に助けを求めることを許さず、極端な自己責任が支配している。奥田氏は「宗教者とは、神仏を頼らないと生きてはいけないと悟った人。弱さの承認が宗教の本質の一つ」と強調。またそれを踏まえ、「自分だけ」からの卒業が求められていると語った。
一方、新型コロナウイルスの感染防止のために繰り返し叫ばれてきたのが「不要不急は控える」ということだった。奥田氏はこのことから「必要で急なもの」が一体何かを考えたという。そうした中で至った結論が「結局いのちが一番大事」ということだった。「コロナは『何が一番大事か』を私たちに考えさせたのではないか。宗教も、何をなくてはならないものにしてきたのかを自ら問われたように思った」と振り返った。