ローマ教皇フランシスコの訪日から1年となった23日、日本カトリック司教協議会会長の髙見三明大司教がカトリック中央協議会の公式サイトでメッセージを発表した。髙見大司教は、教皇訪日のテーマ「すべてのいのちを守るため」を、今後も生活の重要な指針としていくことを呼び掛け、「今後、教皇訪日の実りが一つでも多くもたらされるよう祈りたい」と述べた。
髙見大司教は、新型コロナウイルスが依然として猛威を振るうなか、「教皇訪日1周年をどのように迎えたらよいでしょうか」と問い掛け、1)「すべてのいのちを守るため」を生活の指針に、2)平和な世界をつくり続ける、3)地球環境を守る、4)いのちの福音を証しする、の4項目を挙げて応答を呼び掛けた。
「すべてのいのち」とは、「私たち皆がともに暮らす家である地球」と「その環境の中で神に造られ生かされているすべてのもの、人間はもちろん、ありとあらゆる生き物を指します」と説明。さらに、「いのちあるものが生きていくために必要不可欠な水や空気なども大切にしなければなりません」とした。また、「いのち」とは「身体的ないのち」だけでなく、「人間には、心と知恵、知性と自由意志という能力、良心といった、いわば内面のいのちがあります」と伝えた。
「平和な世界をつくり続ける」については、「核兵器を製造することも所有することも倫理に反します」と強調。「核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際条約にのっとり、たゆむことなく、迅速に行動し、訴えていきます」とした。また、真の平和を実現するためには、すべての人が互いに基本的人権を認め、愛をもって自由に義務を果たし、「キリストの平和」(ヨハネ14:27、20:21)を生き、広めることこそ必要だとした。
「地球環境を守る」ことについては、全国の教会に具体的な行動を呼び掛ける「すべてのいのちを大切にするための月間」(9月1日〜10月4日)を今年から始めたことに言及。今年は新型コロナウイルスの影響で活動が制限されたが、月間に限らず、年間を通して行われることが望まれるとし、▽水・電気・食料などの資源の消費・浪費・廃棄量の削減、▽化学物質を含む洗剤やプラスチック製品など、環境汚染物質の不使用、使用量の削減、▽海浜、里地里山、街中など身近な場所でのゴミ拾い・清掃などの美化活動といった例を挙げて実施を呼び掛けた。
「いのちの福音を証しする」については、教皇の残したメッセージや説教のポイントとして「殉教」「王であるキリスト」「被災」「差別といじめ」「生きる目的」「すべてのいのちを守る」の6つを挙げながら応答を呼び掛けた。
「殉教」については、「殉教者は、私たちが宣教する弟子として生きるよう招いています」とし、「それは、日々黙々と務める働きによる『殉教』を通して、すべてのいのち、特に最も助けを必要としている人を保護し守る文化のために働くようになること」と説いた。
「王であるキリスト」については、「苦しむ罪のない主イエスに寄り添い、その孤独を支え、弁護し、その方に仕えたい」と述べ、「なぜなら、その主イエスは、病人、障がい者、高齢者、難民、見捨てられた人たちだから」と説いた。そのためには「十字架上のキリストから与えられ、差し出され、約束された愛こそが、あらゆるたぐいの憎しみ、利己心、嘲笑、言い逃れを打ち破るという信仰」を持つ必要があるとした。
「被災」については、被災者に対する衣食住の支援と地域の復興に寄与することはもちろん、「展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠」という考えをもって積極的に関わる必要があるとした。また、環境汚染で苦しむ貧しい人々、難民生活を余儀なくされている人々、その日の食べ物にも事欠く人々、経済格差の犠牲になっている人々と共感し、連帯することを呼び掛けた。
「差別といじめ」については、「人を攻撃するのは『間違っている』というべき」と強調。「私たちは、むしろ、苦しんでいる人たちに寄り添い、彼らを支え、励ますべき」と訴え、「傷を癒やし、和解とゆるしの道を常に差し出す準備のある、野戦病院となること、これが『いのちの福音を告げる』ということ」と説いた。
「生きる目的」については、「何のために生きているかに焦点を当てて考えるのは、それほど大切ではありません。肝心なのは誰のために生きているのかということ」と、教皇が日本の若者たちに語り掛けた言葉を引用した。
「すべてのいのちを守る」については、「この世での己の利益や利潤のみを追い求める世俗の姿勢と、個人の幸せを主張する利己主義は、私たちを不幸にし、真に調和のある人間的な社会の発展を阻みます」と指摘。「必要なことは、自分の現実も自由さえも神からの恵みとして喜んで受け取り、与えられたものを分かち合い、他者に差し出し、交わること」とした。
髙見大司教は、先月発表された教皇の新回勅にも触れ、苦しむ人や弱い立場の人の善い隣人となるために、自分自身から外に出て、他者のより良い人生を望むという、神の愛と慈(いつく)しみに倣う必要性を強調した。また新回勅で教皇が、飢餓を撲滅するための国際基金を、軍拡費用を用いて設立することを提案したことにも触れ、「この基金が設立された暁には、協力を惜しまないようにしたい」と述べた。