香山リカ氏(立教大学教授、精神科医)と藤掛明氏(聖学院大教授、心理カウンセラー)による対談講演会「信仰者に読んでほしい3冊&求道者に読んでほしい3冊」(主催:聖学院大学総合研究所)が10日、聖学院大学ヴェリタス館(埼玉県上尾市)で開催された。集まった68人の聴衆を前に、それぞれ選んだ本を紹介しながらキリスト教について語り合った。
精神科医として30年のキャリアを持つ香山氏。実は子どもの頃から教会に通っており、洗礼に踏み切れないので、自身を「万年求道者」と呼んでいる。
「精神科医という仕事は、いかに『神様』という言葉を使わずに、さまざまな心の問題に応えていくか。それでも、時には『聖書にこう書いてありますよ』と伝えることができればと考えることもある。治療の中で『神様』とどう付き合うか、葛藤を覚えている」
対する藤掛氏は、13歳で初めて教会に行き、そのまま神様を信じ、18歳で洗礼を受けて以来、同じ教会(浦和福音自由教会)に通い続けている「万年クリスチャン」だと会場を笑わせた。
「私は教会に向けてのカウンセリングでは、心理的な側面から関わっていきたいという思いから、『神様』という言葉は使わないが、それでも神様が見える面接だと考えている」
「信仰者に読んでほしい3冊」を選んだ香山氏は、「宗教というフィルターを通さずに問題をいかに考えていけるかに重点を置いた」と言う。一方、「求道者に読んでほしい3冊」を選んだ藤掛氏は、「最初は、求道者や未信者に向けての本を考えていたが、途中から、自身にとって『救い』とは何かを振り返ると同時に、伝道する側の在り方を考えることになった」と述べた。
香山氏が1冊目に紹介したのは、マイケル・サンデル著『これから「正義」の話をしよう―いまを生き延びるための哲学』(早川書房)。同書は、社会で生きるうえで決断が迫られる問題を具体的に挙げ、考え方の道筋を示すとともに、宗教や道徳を持ち出さなくても市民社会の中で「正義」が成り立つかを証明しようとする。香山氏が「キリスト以外に正義はないのか」と尋ねると、「自分の中にある異なった2人の自分を受け入れる時、第3の道が見え、そこに正義が立ち現れる」と藤掛氏は答えた。
次に紹介したのは堀川惠子著『教誨師(きょうかい)』(講談社)。死刑囚と対話を重ね、最後はその死刑執行の現場にも立ち会う教誨師の記録をつづったノンフィクションだ。「罪を犯した人間にキリスト教はどう向き合うか」、「死刑という過酷な決定を下された人間にキリスト者はどう語り掛けられるのか」と香山氏は問題提起した。
3冊目は、今年のノーベル文学賞を受賞して話題となったカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(早川書房)。過酷な運命を背負って生きていくことが決められ、その運命を変えることのできない男女の物語だ。
「私たちの人生でも、不条理なことや、どうしてこんなに苦しいことを神様は与えるのか、こんなにつらいことのために生まれてきたのかと思うことはある。こういった過酷な運命を背負った人に、キリスト教ができることは何か」
そう香山氏が問うのに対し、藤掛氏は次のように答えた。
「私も数年前にがん、その後も難病の告知を受けた。その時にいろいろなことを考え、結論として、健康である自分も、病気である自分も両方受け止めて生きなければならないと思った。信仰生活には、神様の計画が確かにあるが、人間の努力もある。どちらも必要で、どちらも受け止めることでうまくいくと今は考えている」
藤掛氏は、キリスト教の入り口を考える本としてまず、来住英俊著『キリスト教は役に立つか』(新潮社)を紹介した。著者は自分の実感に基づき、キリスト教信仰に生きることを「イエス・キリストと共に旅路を歩むこと」とする。藤掛氏は、「個人ごとにキリスト教との出会いはいろいろあるはず。キリスト教信仰の入り口について、個人の物語はもっと多彩に語られていいいのでは」と語った。
続いて取り上げたのは、ジョン・オートバーグ著『神が造られた「最高の私」になる』(地引網出版)。「これは『いろんなキリスト者がいてもいい』と慰められる本。人が信仰者として成長するとき、すべての人が画一的に同じタイプになるわけではない。神は一人一人に異なる個性を造り、個性に応じた信仰の入り口をもうけ、個性に応じた信仰の成長を導かれる」と語る。
同書の中で「エニアグラム」という性格の9類型が詳しく紹介されていることから、鈴木秀子著『9つの性格』(PHP研究所)も推薦した。
3冊目に藤掛氏が紹介したのは、ポール・トゥルニエ著『強い人と弱い人』(日本基督教団出版局)。人には、受動的に服従する「弱い反応」と、他の人を支配するために圧力を掛ける「強い反応」、自分の弱さを認めて神の意志に従う「神に向けられた道」の3つの態度があるという。
「伝道する側にいくら誠実さがあっても、そこには『強制』や『支配』が入りやすく、そのため伝道される側には『防御』が働いてしまう。伝道する個人および教会の『善意』と、『強制』や『支配』の影響関係について再考する必要があるのではないか」と藤掛氏は問い掛けた。
地元の教会に通う男性に感想を尋ねると、「キリスト教についてざっくばらんに語られたのがよかった。クリスチャンは『こうでなければいけない』というのがないと分かり、話を聞いて気持ちが楽になった」と答えた。