<本文と拓本>29文字(456+29=485)
妙而難名(妙で名付け難し)。功用昭彰(功用は昭かに彰われ)、強稱景教(強いて景教と称す)。惟道非聖不弘(惟、道は聖にあらずんば弘まらず)、聖非道不大(聖は道があらずんば大ならず)、道聖符契天下文明(道と聖が符契なれば天下は文明なり)。
<現代訳>
その道は不思議で、名づけられませんが、効果(功徳)は明らかです。強いて名づければ景教と申します。ただ景教である道は聖でなければ広まらず、聖は真理により広まり、道と聖は2つに割った割符(符契)のようで、これにより天下は文明となります。
<解説>
景教の名称由来が書かれ、景教は真理によって導かれ、拡大していくと。道と聖の用語の道とは景教のこと、聖とはその生き方そのものが聖別されていることから天下に広まっていくと説明します。
符契とは、双方が契約するときに2つに割った契約の板の中央に割り印を押して、両者が契約したことの証しを言います(現代の公正証書を作成するときの原本に割り印が押されるのも一例です)。あるいは、1枚の板の中央に双方が合意し、その証しとして契約の印かサインを書き、その中央を割って双方が持つ。
キリストが十字架で肉を割(さ)き血を流されたこと自体が、神と人との永遠の救いの契約で、それをパンになぞらえ、杯を受ける聖餐式が続けられています。
景教は聖別されて生きてきたゆえに、天下は文明であると、時の皇帝に説明していることが刻まれています。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
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