大分県竹田市に残された貴重なキリシタン遺産を展示する「竹田キリシタン資料館」の開設を目指して、竹田市の支援を得ながら、NPO法人竹田キリシタン未来計画がクラウドファンディングに挑んでいる。
竹田市は、西は熊本県、南は宮崎県と接する内陸部にあり、武家屋敷通りなどの古い面影を残す城下町として知られている。また、瀧廉太郎が幼少期を過ごし、岡城跡で「荒城の月」のメロディーを構想した地としても有名だ。実はここは、キリシタン大名の大友宗麟がフランシスコ・ザビエルを現在の大分市に迎えて間もない1553年からキリスト教伝道が進められ、「日本八大布教地」の1つとしてヨーロッパに伝えられた地でもあった。
中世から江戸時代にかけて竹田はキリシタン・南蛮文化の聖地であり、初代岡藩当主・中川秀成(ひでしげ)はキリシタン大名、高山右近ときわめて近い親戚関係にあったことから、キリスト教への理解が非常に深かった。そのため、以後、藩ぐるみでキリシタンを隠し続け、サンチャゴの鐘、ヤコブ像、洞窟礼拝堂といった貴重なキリシタン遺物が破壊されることなく、禁教が解ける明治まで竹田に残されることになったのだ。
ただし謎も多く、その1つが、これだけ多くの遺物がありながら、現在はプロテスタントの日本基督教団竹田教会があるだけで、クリスチャンの数が多くないこと。その他、「これは礼拝用の十字架を表しているのでは」「滝や温泉は『聖水』として使われていたのではないか」など、隠れたところにキリスト教との関連も見られ、その一つ一つに想像が膨らむ。
竹田市がキリシタンの残した歴史文化を観光資源として位置付けるようになったのは、2012年に開催された岡藩城下町400年祭で、岡城内に保管されていた1612年製の「サンチャゴの鐘」(国指定重要文化財)の複製を制作したことがきっかけ。その後、「ミステリアス!竹田キリシタン」をキーワードに町おこしを進めている。今回の資料館設置についても、官民共同で推進して市全体の活性化につなげたいと、NPO法人竹田キリシタン未来計画の活動をバックアップしている。
竹田キリシタン未来計画は、竹田キリシタン資料館の開設、調査、研究を通じて、観光的な面から竹田市の活性化を図ることを目的に2016年9月に設立された。同NPO事務局の藪内成基(やぶうち・しげき)さんは、「大分らしいキリシタンの在り方に徹した工夫を凝らして、資料館を城下町観光の起爆剤の1つとなるようにと考えている」と意気込む。
今回のクラウドファンディングの目的も資金集めだけではなく、インターネットを通して竹田キリシタン文化をより多くの人に知ってもらうことにある。「まずは竹田キリシタン文化の認知度を高めることが重要。目標額は700万円だが、実はクラウドファンディングの他にも、教会やミッション系学校、竹田ゆかりの方々にも協力を呼び掛け、資料館設営のための資金を集めている」
藪内さんもミステリアスな竹田キリシタン文化のとりこになった1人だ。趣味で年間100以上の城を巡る中で岡城跡と出会い、日本の城には決して見られない丸みを帯びた石塁(カマボコ石)の登城口や、ヨーロッパの城を思わせるような佇(たたず)まいに「キリシタン文化」を感じ、その魅力に引き込まれるように東京の会社を退職して、竹田の城下町で暮らすようになったという。
資料館は新たな建物を造るのではなく、城下町に現在ある古民家を改築して、その中に開設する予定だ。サンチャゴの鐘など、世界中で竹田にしかないキリシタン遺物をはじめ、イコン画数百点を展示する。また、館内には稲荷の祠を設置し、「ユダヤ人の王ナザレのイエス」を表す「INRI」の文字が刻まれた石碑を展示して、「INRI」を「稲荷(いなり)」になぞらえた仮託信仰を再現する。さらにVRで宣教師たちが浮かび上がり、ベルギーの修道院の典礼で「ケルビムの歌」としても使われている「荒城の月」の旋律が響き渡るという、他の歴史資料館にはない仕掛けも考えている。さらに、同じ城下町にある「キリシタン洞窟礼拝堂跡」への導線も整備し、同時に紹介できるようにしていく。
「皆が集まる場所にするのが狙い。見るだけでなく、講演会やワークショップなども計画し、体験できる資料館にしていきたい。私も含め、竹田で暮らす約2万3千人のほとんどがクリスチャンではないが、自分たちの先祖が大切にしてきた竹田キリシタン文化を再発見しようとしている。資料館を通して、竹田キリシタン文化の素晴らしい価値を1人でも多くの方に知ってもらえれば」と藪内さんは協力を呼び掛けた。
「竹田キリシタン資料館」開設のためのクラウドファンディングおよび寄付の問い合わせは、NPO法人竹田キリシタン未来計画(電話:0974・63・3383、ファクス:0974・63・0701)まで。クラウドファンディングページはこちら。