世界のどんな言葉であっても、2大要素、すなわち「音声」と「意味」から成り立っています。実は「音声」と「意味」は元来別々に存在し、それらが合体したときに人が使う「ことば」になります。もっとはっきり言ってしまうと、音声自体はそれが何語であっても「記号」にすぎません。記号が記号のままでは、言葉としての機能を持ちません。そこに「意味」が付加されて初めて「ことば」になるのです。
私たちは母国語をあまりにも簡単に、また無意識的に習得してしまったので、音声と意味は別々に存在することをほとんど意識しません。というより、音声と意味は表裏一体で、最初から結合した状態で脳の中に注ぎ込まれ、切り離すことができないと思ってしまいます。
でも、実際は音声と意味は別の存在なので、面白いことが起こります。例えば幼稚園くらいの日本人の子どもが両親の都合でアメリカに行きますと、ほんの2~3カ月で英語を習得し、ネイティブのレベルにまで達してしまいます。幼稚園や小学校では全て英語で、授業内容や友達との会話の内容も全て英語で記憶されていきます。ついでながら「意味」は幅広く、そこには意思、感情、記憶などの全てが含まれますので、「記憶」を「意味として蓄積されたもの」と言い換えることもできます。
その子どもが9歳前に日本に戻り、日本の小学校に入ると、今度はほんの2~3カ月で英語をすっかり忘れ、全て日本語になってしまいます。でも、アメリカでの体験・知識・会話の内容などを、友達に日本語で詳細に話すことができるのです。もし音声と意味が一体であるなら、英語で記憶した内容は英語を忘れたときに全て失うはずです。でも、別々の存在なので、記号としての英語を忘れても「意味(記憶)」は残るというわけです。
「音声」は外から入って来るのに対し、「意味」は脳の中から湧き上がって来ます。それらが脳内で出会ったとき、「音声」と「意味」が合体し、生きた言葉になります。ある英語音声を聞いたとき、それに相応する意味が脳の中から湧き上がるのには、幾つかの形があります。
<1>1つは生活文脈です。音声が耳から入って来るとき、そのタイミングで見たり聞いたり体験していることが、音声に意味を付加します。子どもはこのようにして言葉を覚えていきます。
<2>今現実に、見たり聞いたり体験している事柄でなくても、何かを予測し、期待しているときに音声が入って来ると、その予測や期待が脳の中で意味として湧き上がり、それらが音声と合体します。小さな子どもが初めて聞く言葉を即理解してしまうのは、このためです。
<3>ある程度年齢が進むと(特に13歳以降)、生活文脈や予測・期待だけでは音声に付加する意味が脳の中から湧き上がりにくくなります。その時は適切な説明が必要となります。すなわち、意識的に学ぶ要素が大切になってきます。13歳以降になると、「なぜそう言うの」という疑問が解けないと、なかなか習得できなくなってしまいます。音声に対して意味が曖昧であると、音声と意味の合体が起こりにくいからです。
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