世界福音同盟(WEA、ニューヨーク)総主事のエフライム・テンデロ監督は、WEAの公式サイトに20日付で「弱い人たちを世話する(Caring for the Vulnerable)」と題する文章を掲載した。これは、ウィートン大学人道災害研究所(HDI)(米イリノイ州)が6月に同州で開催した「災害奉仕会議」で同総主事が行った主題講演をWEAが編集したもの。
フィリピン出身である同総主事はその冒頭で、「神が私たちにお与えになった福音の課題は、弱い人たちや苦しんでいる人たちを世話することです」と述べている。
以下はその文章の全文を本紙が日本語訳したものである。
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弱い人たちを世話するために、私たちは苦しんでいたり不利益を被っている人たちを世話するための聖書的な基盤から始めなくてはなりません。イザヤ書からの私たちの学びは次の箇所です。
*神は恵まれない人たちを世話する(イザヤ書25章4節)
*神は私たちに彼らを世話するよう命じておられる(イザヤ書58章6、7節)
*神は貧しい人たちに対する抑圧を非難される(イザヤ書10章1~3節)
*神は弱い人たちに仕える人たちを褒めてくださる(イザヤ書58章10節)
イザヤ書58章10節には「飢えている人に心を配り/苦しめられている人の願いを満たすなら/あなたの光は、闇の中に輝き出で/あなたを包む闇は、真昼のようになる」と記されています。苦しんでいる人たちに対する援助の提供に携わっている人たちにとって、何という大きな喜びでしょう! あなたがたが明るく光っているのは、あなたがたが行った全てのこと故なのです。大きな欠乏のうちにある人たちに私たちが世話をし、応え、具体的な愛の行為を示すとき、それほどまでに神は喜んでくださるのです。
申命記15章4節で、私たちは理想について読むのです――つまり、私たちの間に貧しい人たちがいなくなるということです。けれども現実は、貧しい人たちが決してこの地にいなくなることはないだろうということです。それでは、私たちはその現実から、私たちの間に貧しい人たちがもういなくなるという理想へと、どうやってたどり着くのでしょうか? 神が私たちにお与えになった福音の課題は、弱い人たちや苦しんでいる人たちを世話することです。これが私たちの務めなのです――その現実から理想までの溝を埋めることです。
包括的な行動
弱い人たちを世話することに関わることができる2つ目の方法は、包括的な行動に携わることです。災害が襲うとき、被災者たちの生活の質は大きく低下します。食糧や避難所が不足します。病気や社会の混乱もあるかもしれません。ここで私たちが対応する必要があるのです――食糧や避難所、共同体の組織化、そして霊的な援助です。
これらの救援活動の間に巨額のお金が注ぎ出されることが研究で示されていますが、しかし、私たちは緊急の救援を超えて復興へと向かう必要があります。私たちは災害前にそこにあった共同体を取り戻したくなるわけですが、しかし私たちは、人々がそれを超えてさらによい状態へと向かってほしいとも願うわけです。私たちは、災害の後にその人たちの生活を改善するために、その共同体の経済基盤全体を強化することを望むわけです。
HDIは、私たちがどうやってデータを集め、これらの状況のためにそのデータを利用するのかを学ぶのを助けることで、この分野で私たちを大いに助けてくれました。データは、その共同体の重大なニーズが何であるのかを理解する助けとなりますし、私たちが自らの送達の基準や奉仕の実績を評価する助けとなるのです。
介入の枠組みを確立する
弱い人たちを世話することの3つ目の側面は、介入の枠組みを確立することです。これをするために、私たちはまず初めに弱さの原因を特定しなければなりません。なぜその人たちは、自らが遭遇している類いの困難に直面しているのか? 弱さには多くの原因がありますが、しかし、その主な原因の1つは、社会的な不正義だというのが私の意見です。
ここ米国でさえも、とても多くの社会的な不正義があります。米国で人種をめぐる偏見がいまだに起きているのを見て、私は驚いています。黒人の学生が学校で問題を抱える可能性は、黒人以外の学生の4倍だと、私は今日読んだばかりです。社会的な不正義は、弱さを生み出すのです。
社会的な不正義に加えて、私たちは環境に関する要素にも目を向けなくてはなりません。私たちの海洋が温暖化しつつあることと、台風の件数の増大には、直接的なつながりがあります。だから、去年パリで行われた気候変動会議で、海洋の温度を低下させる必要性について議論するフィリピン人が、力強い存在感を示していたのです。ほんのわずかの温度の変化が、フィリピンの国民にとって、とてつもなく大きな裏の意味を持つのです。
効果的な介入のために協力して携わる
私たちは、戦略的な同盟を持つ必要があります。私たちはキリスト教を基礎に置く組織ですが、しかし私たちは宗教間とともに宗教内で活動する必要があります。私たちは他の宗教や政府、そして団体と協力する必要があるのです。
これを例証するのに、私は1つのイスを考えるのが好きです。あなたがたのうちで1本足のイスに座っている人は何人いますか? 社会に4本柱が必要なのとちょうど同じように、私たちはみな4本足が必要です。
私たちに政府が必要なのは、それが法律や組織を持っているからです。私たちにビジネスが必要なのは、それが私たちの介入を支えてくれる資本や資金を持っているからです。
私たちがNGOと共に活動する必要があるのは、彼らが専門性や知識を持っているからです。私たちが宗教共同体と活動する必要があるのは、彼らがその共同体を動かす道徳やつながりを持っているからです。
フィリピンにおける人身売買のような世界の大きな諸問題に取り組むために、私たちにはこれらの柱の全てが必要なのです。2、3年前に私たちは、この大きな問題に十分に取り組むためには、政府や無数の宗教共同体と共に活動しなければならないことが分かりました。
私たちは「人身売買に反対するフィリピン宗教間運動」を設立しました。そして今、私たちは一緒に活動しているが故に、(政府と企業が私たちと共に活動し、そしてNGOが私たちと共に活動しています)私たちは、単なる小さなクリスチャンの集団であるよりはもっと効果的になっています。
これらの他の宗教や人々の集団と共に宗教間組織で活動することは、自らのアイデンティティーを失うことを意味しません。それでもなお、共通の課題に取り組んでいる他者と共に活動している、福音派のクリスチャンとしてのアイデンティティーを持っているのです。人は「どうしてあなたがたはこれをやっているのですか?」と尋ねるかもしれませんが、それは、それをやっているのはイエスに従う者だからだと語る機会なのです。
私は牧師やイマーム(イスラム教の指導者)、司祭たちからなる代表団と一緒に、モロ・イスラム解放戦線と和平会談を行う機会を与えられました。この少し前に、軍の高官がこの集団によって1カ月間拘束されたので、彼らは実に危険でした。私たちは平和について議論するために彼らの要塞の中へと歩いて入って行く計画をしていました。
私たちが歩いて入って行ったとき、彼らは私たちのことを政府か軍の者ではないかと怪しんでいたので、私は自分たちが宗教指導者であり、私たちはみな神の似姿のうちに創られており、そしてイエスが私たちに平和をつくる人となるよう私たちを招いておられると信じていることから、私は彼らの集団と平和的な関係を確立したいのだと言う機会を与えられました。
今では、私は彼らの指導者とよい関係を持っており、開かれた意思疎通を頻繁に図っています。ですからお分かりのように、他の宗教者と共に活動することで、クリスチャンは十分にクリスチャンでいることができ、御言葉を伝えられるのです。他の人たちはあなたの中にある光を見て、そしてあなたはなぜそこにその光があるのかを伝える機会を得るのです。
私たちの使命は、地域的、そして全国的な同盟関係を確立して、強化することです。私たちは、教会や準教会がイエスの福音を前進させ、神の栄光のために個人や共同体の変革をもたらすために、彼らがその地域にある福音派の共同体をより良く力づけるように、共に活動するのを促進したいのです。
私たちは福音を伝え、そのメッセージを生き抜く立場にあるのです。私たちの社会の中の弱い人たちが、神がお与えくださった命をより良く生き抜くことができるように、彼らの世話をし、資源を与え、変えていくことで社会を導く召命や特質、そして能力が、私たちにはあるのです。