今までいろいろなキリスト者についてこのコラムで書いてきましたが、内村鑑三について書いていませんでした。ご存じの通り日本のキリスト教の父とも称され、その影響力は計り知れないものがある人物であります。
しかし、内村鑑三については私自身、魅かれる部分とそうでない部分が交錯していました。ある時は非常に魅かれて、その膨大な書物の中から、力強い言葉に圧倒されながら彼の信仰を読み進めていったこともあります。しかし、そのあまりに強い個性が弟子たちとの軋轢(あつれき)を生じさせ、多くの弟子たちが去って行ったというようなことを知るとき、彼の生き方についていけないような気がして遠ざかったときもありました。
よく内村鑑三と新渡戸稲造が比較されますが、私はどちらかというと新渡戸稲造の穏やかな信仰の持ち方の方に魅かれてきました。しかし、新渡戸稲造自身が自分の弟子たちに本当にキリスト信仰を知りたければ内村の所へ行けと勧めているのですね。内村鑑三の信仰は筋金入りと言いますか、妥協なき聖書信仰に立ち続けた人だと言っていいでしょう。
私が一番感動するのは、内村鑑三が回心したときのことです。札幌農学校を卒業し、後に米国へ渡ります。行くあてもなかった彼でしたが、アマースト大学に学ぶ機会が与えれました。そこで牧師であり学長でもあったシーリー師との出会いがありました。
若き鑑三はシーリー学長の人格に深く感銘を受けたようです。鑑三は札幌農学校でキリスト教に入信したことになっていましたが、まだキリストの救いに確信を持てずにいました。そして、彼は自分の魂について深く悩んでいたのでした。
そのことを鑑三はシーリー学長に話したのでしょう。シーリー学長は次のように鑑三に言いました。「内村君、自分の内なる罪を見ることをやめよ。十字架上に君の罪を贖(あがな)い給うた主イエスを仰ぎ見よ」と。この言葉に激しい衝撃を受けたといいます。そして、努力の限りを尽くしても救いを得なかった魂に、それまでの全てを洗い流し、覆い尽くす神の力と平安を体験するのです。
これが内村鑑三の、神との最初のまことの出会いとなり、生涯彼を導く光となったのでした。鑑三25歳の時でした。
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