ある時、ふと車の中でラジオを聞いていますと、1人の若い女性の明るい声が聞こえてきました。だんだん聞いていくうちに話に吸い込まれていきました。この方は、今は有名になられた佐藤真海(まみ)さんで、アテネと北京パラリンピックに出場したアスリートです。
彼女がこんな経験を話していました。中学、高校時代に運動好きで長距離走に打ち込んでいました。大学に入ってからはチアリーダーになることに憧れて練習に明け暮れていました。楽しい日々でした。ところが、大学2年だった2001年、右足首の骨に骨肉腫が見つかり、翌02年4月、ひざ下から切断しました。足の切断を告げられたときのショック、手術後、「生きていく価値があるのか」と悩み、家に引きこもって泣く日々が続きました。
真っ暗な闇から抜け出し、目標に向かってがむしゃらだった以前の自分を取り戻そうとする中で、走り幅跳びに出会い、夢が膨らんでいきました。そして、パラリンピックに出場するになり、そのことがきっかけとなって、日本の各地の小中学校で講演を依頼されるようになっていきました。
佐藤さんは宮城県気仙沼市出身で、11年3月11日にテレビに映し出される津波と火災にのみ込まれる自分の故郷に言葉を失ってしまいました。震災の5日後、連絡が取れなかった両親ら家族が、避難して無事であったことがようやく分かり、胸をなで下ろしました。しかし、4月に戻って見た故郷や実家の変わり果てた姿にがくぜんとしました。「どこから手を付けたらいいんだろう」「自分に何ができるのか」という焦燥感がありました。そんな時に思い出したのは、苦しいとき、自分を支えてくれた周囲の励ましでした。
自分が講演で訪れた全国の小中学校に手紙を送ったところ、約2千人の子どもたちから手紙や千羽鶴などが寄せられました。5月、そのメッセージを手に、母校の気仙沼小と気仙沼中を訪れ、子どもたちを前に自分の体験を話しました。そして、「苦しんだ先には必ず光があることを感じてもらいたい」というメッセージを送ったのでした。
中学国語の教科書に、佐藤さんの思いをつづった文章が記載されています。その中に骨肉腫の告知を受けたとき、母親のえりさんから掛けられた言葉を盛り込んでいます。それは、「神様はその人に乗り越えられない試練は与えない」という聖書の言葉です。
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