日本のクリスチャン人口はいまだに1パーセント未満であるが、私はその原因の一つが、セールスの基本を忘れてしまっているところにあると思う。クリスチャンたちに何かビジネスを勧めるときに返ってくる反応の多くは「セールスは苦手です」である。これは、教会ではセールス活動がないことを意味する。
実は、ビジネスの基本がセールスにあるように、教会の使命はセールスにある。ビジネスでは顧客を確保し、教会では失われた魂を確保する。でもビジネスと信仰を切り離している人たちは、セールスも信仰外のこととして捉える傾向が強い。
ビジネスでは、顧客が増えなければ倒産してしまうので、必至に顧客を増やす努力をする。セールスのために費やすお金(広告費やセールスマンに支払う報酬)は半端な額ではない。少子化の今は、高校や大学までが学生確保のためにありとあらゆる方法を考える。
もしセールスがうまく行かなかったり、倒産の危機に直面したりすると、自殺する人さえいる。事実日本では、働き盛りの人たちを含め毎年約2万5千人が自殺している。
教会は「量より質」と考えている人は、何かを勘違いしている。それは「救われる魂がわずかであっても、その質が高ければ、99パーセント以上の魂が失われてもよい」と言っているのと同じである。
それに「質が高い」ということの定義が全くない。「一人も滅びないように」というのが神の御旨であり(ヨハネ3:16)、使徒パウロも「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。・・・弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです」(Ⅰコリント9:20~22)。
企業は、100パーセントの時間を営業に費やしている。顧客の確保が無ければつぶれてしまうからだ。どんなに有能な税理士を雇い、数多くの事務員をそろえ、万全な警備を整えても、セールスに失敗したら終わりである。
でもセールス概念を持たない多くの教会は、セールス活動を制限してしまっている。「特伝」という言葉自体が、セールスが二の次になっていることを意味している。ビジネスにもセールスキャンペーンなるものがあるが、キャンペーンの時にだけセールスが行われることはあり得ない。
私自身も体験したことであるが、教会に行くととても忙しく、行事やミーティングが目白押しにある。家に帰るときにはヘトヘトになっていることもある。でもそのほとんどは、セールスとは全く関係のないことである。
実際、人数が増えないとか、あるいは減ってしまったことに対して絶望し、自殺まで考える人などいない。教会はセールスと無縁と思っているからだ。われわれはキリストの「大宣教命令」の大切さを、ビジネスマンたちがセールスに取り組む姿勢から学ぶべきではないだろうか。
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