あれは20世紀最初のジェノサイド(集団殺害)だったのか。1915年のアルメニア人虐殺に関する論争は、100年が経過した現在も、アルメニアとトルコだけでなく国際社会全体を巻き込んでおり、まさに歴史上のタブーともいえる事件だ。ヒトラーがユダヤ人虐殺の手本にしたともいわれるこの歴史的悲劇を背景に、生き別れた娘たちを捜して地球半周を旅する男、ナザレットの壮大な物語を描いた映画『消えた声が、その名を呼ぶ』が、26日から全国順次公開されている。
祖父から、アルメニア人虐殺の際、西アルメニアから東に逃れ、カラバフ(当時のロシア領)のシュシに辿り着いたことを聞かされて育ったというグラント・ポゴシャン駐日アルメニア共和国大使に、この映画の感想や日本人にあまり馴染みのないアルメニア人について話を聞いた。本作のナザレットのような壮大なストーリーは決して一般的なことではないが、アルメニア人のすべての家族が、1915年の事件を通して同じ悲しみを体験したことは事実であると、ポゴシャン大使は話す。
ユダヤ人と同様に、アルメニア人は欧米で「離散の民」と呼ばれている。1045年に古代アルメニア王国がビザンティン帝国によって滅ぼされて以降、アルメニア人は数世紀にわたって移住を繰り返し、欧州各地にコミュニティーを形成した。さらに、オスマン・トルコ(オスマン帝国)による1915年からの迫害が、アルメニア人を世界各地に散らばらせる最も大きな原因となった。現在のアルメニア共和国の人口は約300万人だが、在外アルメニア人は約700万人にも上る。
ポゴシャン大使の言う「同じ悲しみ」というのも、非常に多くのアルメニア人が国を追われ、全く知らない新しい国で生活を始めたという事実のことを指している。本作でも、ナザレットが南米や米国など、世界各地でアルメニア人と出会う場面が登場する。「世界中でアルメニア系の人々が生きている。祖父もあの事件のことを大きな声で話すことはしなかったが、人々は、忘れてはいけないという強い気持ちを抱き続けていると感じる。それは、思い入れのある大事な場所が失われてしまったにもかかわらず、散らばっていった先でも言葉や文化を守り、強いコミュニティーを再建していったことからも明らかだ」と、祖父との思い出を振り返りながらポゴシャン大使は話す。
アルメニア人は、長い歴史の中で培われた独自の文化を持っている。旧約聖書のノアの箱舟の舞台として名高い、アララト山を最高峰に有するアルメニア地方に、紀元前2世紀に建国された古代アルメニア王国は、独自の言語と文字を創造した。また、301年には世界で初めてキリスト教を国教とした国でもあり、世界中にいるアルメニア人の大半が、東方教会の一派であるアルメニア使徒教会に属している。ポゴシャン大使によると、アルメニア人にとってのキリスト教は、もはや宗教の域を超え、人々のアイデンティティーとなっているという。
音楽などの文化や、大学での教育にも教会が深く関わっており、人々の日常生活にも教会に行くという習慣が根付いている。病気になったときには、教会に鶏を連れていって塩を食べさせてきよめ、さばいて調理し、近所に配るなど、他のキリスト教には見られない独特の儀式も現在にまで受け継がれているようだ。毎週日曜日に必ず教会で礼拝をささげるという人はそう多くないそうだが、世界各地でアルメニア人のいるところには必ずといってよいほど教会が建てられている。
本作の主人公ナザレットは、善良なキリスト教徒として登場する。誰かに対して怒りの感情を抱くと、教会に足を運んでざんげする。ナザレットや彼の兄弟らがトルコ人に処刑されることになるのも、過酷な強制労働に連行された先で、「イスラム教に改宗すれば解放してやる」というオスマン・トルコ政府の役人の言葉を拒否したからだった。しかし、妻の死を知り、親戚の死を体験し、数々の悲惨な状況をくぐり抜けていく中で、物語の後半では良心が失われていき、教会に行く誘いを断るナザレットの姿が描かれる。ナザレットの信仰に変化が起きてしまったのだろうか。彼の心境についてポゴシャン大使は、1988年のアルメニア地震の際の自身の心境に重ね合わせて次のように話す。
「地震によって、多くの人々、特に子どもたちの命が奪われた。なぜこの時間、この場所で地震が起きたのか、私は神に怒った。何か悪いことが起きると人々は熱心に祈るが、逆にあまりにも深い傷を負うと、その反動で教会から離れてしまうこともある。しかし、それは宗教に対する疑問よりも、自分自身の葛藤の表れであって、神に怒りを抱いても、その信仰がなくなるということはない」。長い歴史を持つアルメニア使徒教会は、時代とともに絶えず変化しているが、その核となる「神を信じる」という部分は大きく変わることなく続いてきた。「1915年の歴史的な事件がきっかけとなって教会が大きく変わったということはなかったし、これからも変わることはないだろう」と、ポゴシャン大使は話す。
戦後70年を迎えた今年は、人々にアウシュビッツ解放70年の年としても覚えられている。遠く離れた国の出来事であっても、ユダヤ人虐殺については、杉原千畝氏の活躍などを通して、日本人にも馴染み深いものになっている印象がある。それに比べるとアルメニア人虐殺は、日本ではほとんど知られていない。だが、歴史をひも解くと、何百人ものアルメニア人が横浜を経由して米国へ逃亡した記録が残っており、かの渋沢栄一はアルメニア人救済日本委員会を設立し、多くの人を助けたという事実が確認できる。アルメニアについて見識が浅い多くの日本人に、この映画は知るきっかけを与えてくれる。
歴史上のタブーといえるこの事件は、非常に取り扱いが難しいテーマだが、この映画のメガホンを取ったのはなんと、ドイツ系トルコ人のファティ・アキン監督だった。ポゴシャン大使は、「私たちは、トルコ人全員が悪いとはまったく思っていない。ましてこの作品は、加害者側だとされるトルコ人が監督であることによって、広く人々に知ってもらう機会が与えられた」と本作の持つ意義を認めて歓迎する。また、実際に見たこの映画の内容についても「日本人と何人とに関係なく、心に訴えかけるものがあって素晴らしい」と感想を話す。
「アルメニアでだけでなく、ジェノサイドの悲劇は世界のあらゆるところで現在も起きているから、1915年の虐殺に焦点を当てることが大事なのではない。この映画が追い続けている主人公ナザレットを通して、家族への愛や希望は、全人類に共通する人間の本質であることに気付くことが大切なのだと思う。この映画は観客に、なぜ普通の人間にこのような悲劇が起こるのだろうか、という問いを投げ掛けるような終わり方をする。その問いがいつまでも心の中に残ることによって、ジェノサイドや平和について考えるきっかけが与えられるとよいと思う」
映画『消えた声が、その名を呼ぶ』は、26日(土)から、角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CHINEMAほか全国順次公開されている。