「きょう、こういう形でお目にかかってお会いした皆さんと共に、不屈の精神で、決意した一人ひとりとして、共に進んで参りたいと思います」
沖縄キリスト教学院・沖縄キリスト教平和研究所コーディネーターの金井創(はじめ)牧師(日本基督教団佐敷教会)は、6日に講師を務めた沖縄の辺野古基地反対などを訴える平和講演会で、110人の参加者を前にそう結んだ。
講演会は、「『沖縄は今』を聞こう~高江、辺野古の基地建設現状と阻止行動について 沖縄の歴史と現状から平和を考える~(東京)」と題して開かれ、沖縄の普天間基地撤去と辺野古新基地建設の中止を求める「基地のない沖縄をめざす宗教者の集い」の主催により、ニコラ・バレ修道院(東京都千代田区)で開催された。
金井牧師は東京などで牧師を務めた後、2006年から沖縄県南城市にある佐敷教会の牧師を務めている。そのかたわら、名護市辺野古沖で進行中の米軍基地建設に反対する海上阻止行動で、2007年から週3日のペースで船長を務めている。
金井牧師はスライドで沖縄の写真を見せながら、在日米軍基地の74%が集中する沖縄の現状を語った。また、豊かな生物多様性を破壊して沖縄県の北部にある国頭郡東村高江の米軍機オスプレイ離着陸飛行場(ヘリパッド)建設の工事や、辺野古沖の埋め立てによる米軍海兵隊の普天間飛行場移設に向けたボーリング調査が、地元住民らによる阻止行動にも関わらず進められている実態を伝えた。
金井牧師によると、沖縄では米軍が陸上基地だけでなく海の提供水域や空域も支配している部分が多い。名護市と宜野座村にまたがる米軍のキャンプシュワブでは基地のフェンスから数十メートルのところで兵士が銃を構えて実戦訓練をし、高江では完全武装した兵士が日米合意に反して10〜20人の隊で県道を歩いていることが、ここ2〜3週間は頻繁にあるという。
そして海では水陸両用の装甲車が、長崎県の佐世保米海軍基地から来た強襲揚陸艦と訓練をして付近一帯を立ち入り禁止にし、巨大なキャタピラで浅瀬のサンゴを踏みつぶしたという。これに抗議をしたところ、先頭車両の指揮官が日本語で「すみません」と謝り、深い方へ回っていったという。
「米軍が訓練をしているから、そして立ち入り禁止と定められているからあきらめて手も足も出ない、遠くで指をくわえて見るだけじゃなくて、言うべきことは言う。市民は見ているんだ、そしてちゃんと言うんだということを示すっていうのはやっぱり大事だなと本当に思いました」と金井牧師は語った。
「『政府が設定したからダメ、政府がルールを決めたからダメ、法律を変えたからダメ』じゃなくて、本当にそこに生きる一人ひとりの権利・意志をもって立ち向かっていこう。言うべきことは言おう。行動すべきことはしようという。それが今の働きにつながっています」と金井牧師は付け加えた。
沖縄の空では、米軍機の墜落事故が、沖縄が日本に復帰した1972年から今年までの42年間に45件も起きたという。
「全く自治というものがないんです。この国土でなされた事故に関して、沖縄の警察も日本の警察も入れない。それが現状です」と、金井牧師は語った。
オスプレイも、日米合意に反して、民間地の上で一番不安定なヘリコプターの状態(ヘリモード)から飛行機のモードへ切り替えたり、ヘリモードで飛んだりすることが毎日、これまで何百回も行なわれているという。夜10時以降は飛ばない、あるいは学校の上は飛ばないといった約束も次々に破られ、市民や宜野湾市の基地対策課による抗議が一度も聞き入れられたことはないという。
「だから、どんなに厳しい約束を交わしたとしても、私が思うのは、米軍は訓練に必要だと思ったら、いつでも飛ぶ、どこでも飛ぶ、どんなやり方でも飛ぶ。だから約束はほとんど意味がない状態になっています」と、金井牧師は語った。
「普天間基地は世界一危険な基地だと言われていますけど、ここが危ないから早く返還しようということで辺野古(への移設)ときているわけですけども、県民にしてみたら『何で辺野古なの?この危険な基地をどうして無条件で返さないのか?どうして代わりのものを県内に造らなきゃいけないのか?』(という議論が)ずっと繰り返されてきた」と金井牧師は述べた。
金井牧師は、「日本政府はしきりに『沖縄の基地負担軽減・米軍基地の縮小』というが、実態は負担は軽減されてはいないし、整理縮小でもない。集中強化です。これが実態です」と批判した。
普天間基地については、「町の真ん中にありますから、ここにはヘリコプターと飛行機が置いてあるだけです。弾薬を積んだりすることはここではできません。今どうしているかというと、嘉手納基地まで飛んでいって、嘉手納弾薬庫のものを積む。兵士を乗せるのだってここではできません。他のところへ飛んでいってやる。ところが辺野古に基地が造られると、そこには弾薬庫があります。軍港にもなってしまいます。滑走路は2本になります。そしてキャンプシュワブっていう実戦部隊の海兵隊がすでにそこにいます。いったいどれだけ機能が強化されるのか?全部そこに集中します」と金井牧師は指摘した。
「米国では家があるところに滑走路の基地があるということ自体があり得ないことで、法律で絶対ダメです。ところが沖縄ならいいのか?ということですね」と金井牧師は付け加えた。
「普天間基地の周りに住んでいた人たちはもともとその中に住んでいた人たちで、沖縄戦が終わって、住民はほとんど全ての人が民間の収容所に入れられ、半年から1年後、解放されて、帰ってきたら自分の家はつぶされて基地になっていた。これが普天間基地なんですね」と、金井牧師はその歴史的背景について語った。「誰もどうぞ基地を造っていいですよといって提供したわけじゃない。力づくで奪われた土地に基地が造られていた。先祖代々の家、土地を全部奪われて基地にされてしまった。沖縄の基地のほとんどがそうです。ですから、お墓を持ってる人たち、親戚もこの周りに住むしかないわけですね」
金井牧師によると、普天間基地ではこれまで何年に1回、市民が手をつなぎあって普天間基地を包囲する人間の鎖が行われてきたという。2010年にはどしゃ降りの雨の中、約1万7千人による人間の鎖で普天間基地が完全に包囲され、佐敷教会も「正義なき平和はない」という標語が記された旗を掲げて参加した。
2012年にオスプレイが配備されたとき、市民が普天間基地のゲートを自動車で全部封鎖した。この封鎖は沖縄史上初のことであったが、機動隊や警察が強制排除した。この模様は、現在も全国各地で上映会が続けられているドキュメンタリー映画『標的の村』にも記録されており、その中に金井牧師も登場する。封鎖が行われた夜には、警察は金井牧師を含むそれらの市民のうちの約200人を約3時間半も監禁したという。
一方、普天間バプテスト教会の神谷武宏牧師は、2012年12月に「普天間基地・野嵩ゲート前でゴスペルを歌う会」を立ち上げた。福岡のアメリカンセンター前や東京の首相官邸前で毎週月曜日午後6時からゴスペルを歌う会もあり、これらと連帯しながら、毎週月曜日に共に歌って平和を訴え続けている。金井牧師もその運営委員の一人を務めている。今年の9月8日にはその活動が100回目を超えた。
金井牧師は、普天間爆音訴訟原告団長の島田善次牧師(日本キリスト教会宜野湾告白伝道所)の「物言わぬ民は滅びる」という持論を紹介した。最初はたった独りで言い始めた人だが、現在では原告団は3000人を超えているという。
1996年に普天間基地の移設条件付き返還が日米間で合意されたのを受けて、辺野古沖での米軍基地建設に対する反対の声が高まった。2004年には、辺野古基地建設に反対する人たちの座り込みや海上阻止行動が始まった。昨年12月29日、沖縄県の仲井眞弘多知事が辺野古埋め立てを承認したが、今月7日投開票の市議選で反対派が過半数を占めた地元名護市を含め、沖縄では辺野古基地建設に対する反対意見が多数派を占めている。
辺野古の大浦湾側では新種の生き物も見つかるほど神秘で豊かな海が、基地建設のために埋め立てられようとしていると、金井牧師は述べた。「私たちが時々話す中で、『埋め立てって、工事の一つの方法としか印象を持たないけれど、要は生き埋めなんだよね』という話をしています。『ここに生きているいろんな生き物を生き埋めにしてしまうことなんだ。その命を奪う、それが埋め立てなんだ』」
また、金井牧師は2007年のクリスマスの朝に辺野古の海で大きな虹が出たのを見て、「わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる」(創世記9:13)という聖書の言葉を思い出したという。
「神は大地を決して破壊しない。その約束が虹だ。虹が出たらそれを思い起こしなさいよ、っていうのが、その聖書の言葉です」と、金井牧師は話した。「神は破壊しないと約束したものを、人間がいま破壊しようとしている。これが辺野古で、あるいは高江で行われようとしていることなんだなって思いました」
金井牧師によると、県外から多くの人たちが支援に来た以前と比べて、今年は沖縄の人たちが圧倒的に参加するようになったのが大きな違いだという。しかし、辺野古沖で海の阻止行動が始まるときに、政府が全国からかき集めた海上保安庁の巡視艇と高速のゴムボートが並び、これを見たあるお年寄りが「また沖縄戦が始まった」と言ったという。8月14日には金井牧師らの抗議船2隻とカヌー6艇に対し、政府側は圧倒的な数の船で抗議船やカヌーを取り囲んで少しも進めないようにされたという。
ところが、8月25日からは海上保安庁が後退し始め、抗議船とカヌーは以前よりも前へ行けるようになったという。「何があったのかと言ったら、全国の皆さんが抗議の電話をしてくれたりファックスをしてくれたからです。声を上げてくれたからです」と、金井牧師は述べた。
「相手が危険なことをしたら相手を止める。これが海上保安庁の本来の立場だと思います。しかし今では完全に防衛省の工事を守る側に立っています。そういうふうに命じられてしまっているわけです。彼らもとても複雑な気持ちでいるんじゃないかなと思います」と金井牧師は話した。
沖縄の報道機関によると、8月22日、辺野古のボーリング調査に海上で抗議をした一人が海上保安庁の職員に力づくで首を抑えられて頸椎ねんざでけがをしたため、29日に那覇地方検察庁名護支部に告訴したという。
海上保安庁が阻止活動船の通行を禁じたり活動する市民を拘束する法的根拠は何かということについて、今月6日、沖縄タイムスは「市民排除 刑特法が根拠 海保が初見解」という見出しの記事を掲載した。
「彼らを支えているのは立場上付与されている強制権です。それが彼らの行動を支えている唯一のものです。でも、私たちを支えているのは何かといったら、一人ひとりの意志です。強い気持ちです。覚悟です」と金井牧師は語った。
「強制権しか頼りにしていない組織なり人たちは、個人個人が強い意志を持って行動する人たちに対しては、実は弱いんです。彼らが一人ひとり強い使命感をもってやってるわけじゃないんですね。仕事だから、命令だから、職務だから、と言ってやってるわけです。職務だからと言ってやってる人と、覚悟を決めてやってる一市民たちの本当の強さは、相当違います」と金井牧師は続けた。「だから、どんなことをやられても、全然萎縮しないんです」
現在、阻止活動の船は4隻だが、船の故障も多く、沖縄キリスト教平和研究所は船を新しく購入するための募金をしている(関連記事:沖縄キリスト教平和研究所、辺野古基地建設阻止の船購入で緊急募金)。
金井牧師は、この長い運動の精神的な柱として大事にしてきたうちの一人として、伊江島の土地闘争のリーダーとして非暴力による抵抗を貫き、何十年も米軍を相手に交渉し、沖縄の平和運動の指導者として知られた沖縄の非暴力活動の象徴である阿波根昌鴻氏(1901年〜2002年)を挙げた。
「人間性においては、われわれのほうが軍人より勝っているんだという自覚は、強制権を頼りにして力任せに来る相手に対して立ち向かっていく一市民一人ひとりが持っていく自覚なんです。だから負けないんです」と、金井牧師は語った。
金井牧師は、阿波根氏の「平和の武器は学習。平和の最大の敵は無関心」という言葉を大事にしたいと言う。
金井牧師はまた、瀬長亀次郎氏(1907年〜2001年)を「戦後の沖縄の偉大な政治家」と呼び、その「弾圧は抵抗を呼ぶ。抵抗は友を呼ぶ」という言葉に言及して、「これはもう現場で本当に実感することです」と語った。
金井牧師は瀬長氏について、「米軍統治下の那覇市長として、米軍のすごい弾圧と嫌がらせ、そして刑務所にまで入れられる。そういうことを経ながら、最後まで民衆の前に立った人。それが瀬長さんですから、いまだにどんな立場を超えて(も)尊敬されている政治家ですね」と述べた。
「瀬長さんが生涯、生き方の根本にしてきたのが『不屈』なんですね。いま、瀬長さんの次女の方が責任者となって、瀬長さんの『不屈館』という資料館が那覇市内にできています」と、金井牧師は説明した。瀬長氏には、『不屈—瀬長亀次郎日記』(第1部〜第3部、琉球新報社刊)など多数の著書がある。
「瀬長さんの『不屈』、これをやはり今私たちは掲げていきたいなって思っていて、それで今度買わせていただく船の名前を『不屈』にしようと思っています」と金井牧師が語ると、会場から大きな拍手が沸いた。
「海保(海上保安庁)も呼びづらいでしょうね。『不屈の船長さん、不屈の皆さん』って言わなきゃいけないんですよ」と、金井牧師は会場の参加者とともに笑いながら話した。
「与えられた友に支えられながら、お互いに支え合っていきながら、一人であると同時にその決意した一人ひとりがつながり合ったときに大きな力になっていくということを、この辺野古で表していきたいと思いますし、それが本当にできると思うんですね」と、金井牧師は付け加えた。
講演後、金井牧師は、「一市民、一信仰者であることに加え、牧師という立場、働きを考えたとき、こうした活動の先頭に立つことをどう思われますか?牧師には牧師にしかできないことがあると思いますが、そうした働きは、この抗議活動の中でなさっているのでしょうか?(常日頃の活動に敬意を表した上での質問です)」という会場からの質問に答えた。
「辺野古に関わるようになって、聖書の読み方が変わりました」と、『生き方としてのキリスト教』(日本基督教団出版局、1999年)の著者である金井牧師は答えた。「イエスはどこにいるのか?(神々しい存在に)祭り上げられたキリストではなくて、あの当時、本当に捨てられた人々や、人間扱いされなかった人々、最底辺に生きる人々とそこに立ち続けたイエスを、この沖縄の活動を通してさまざまな場面で再発見するということが常になされています。イエスはこの沖縄にいる。イエスはこの辺野古の現場にいる。そういう中から聖書を読み直していくわけです」
「そうすると、今まで読んでいたイエス・キリストとは本当に違う発見と言いましょうか、それが見えてくると言いましょうか、そういう中から牧師としてイエスを新たに告白し直す。そういうことがやっぱり牧師としては感じていることです」などと金井牧師は答えた。
金井牧師は、学生を連れてフィリピンを訪れたときの体験に触れ、「ゴミの山の一番近いところにカトリックの教会が一つあったんですね。本当に掘建て小屋のようなちっちゃなみすぼらしい教会です。そこに、ゴミの山に面したところに、『ここは教会ですよ』っていう意味で『JESUS CHRIST』って書いてあったと思うんですが、その字を見たときに、まさにゴミの山の真ん前に、イエスがここにいるっていうことを感じたんですね。大聖堂の奥であるとか、そういうきらびやかなところじゃなくて、ゴミの山の真ん前、そこに暮らす何万人もの人たちの最前線にイエスがいるんだと、イエスがいる場所はここだって、それと同じものをいま辺野古で感じています」と金井牧師は付け加えた。
講演会の終了後、参加者の一部は、JR四谷駅前と防衛省前で平和を訴える祈念行動を行うとともに、防衛省の入り口で安倍晋三首相と江渡聡徳防衛大臣に対し、辺野古基地建設の中止などを訴える要請行動を行った。(関連の要請書:日本カトリック正義と平和協議会:首相宛、防衛大臣宛、日本YWCA、日本聖公会正義と平和委員会)
主催者の一人である日本カトリック正義と平和委員会事務局長の大倉一美(かずよし)神父(徳田教会主任司祭)は、開会の挨拶で、「沖縄の現状は、私たち内地にいる人間にとっては、本当に遠い話みたいで、ほとんどの人は、最も大変なことが行われているということに耳を貸さない、あるいは目をつむっているのが現状だと思います。金井牧師の声やスライドを通して見て聞いたことを、私たちの周りの人たちにお伝え願いたいと思います」などと述べた。
「基地のない沖縄をめざす宗教者の集い」は、キリスト者や仏教者ら宗教者が協力して2011年6月に結成。沖縄が戦後処理の犠牲にさらされてきた現実に目を向けてほしいという訴えに応え、沖縄に関する勉強会や集会などを企画し、「沖縄の声」を伝える働きを行なっている。