昨年3月11日に起きた東日本大震災による未曾有の災害が、生活に甚大な影響を及ぼしたことを受け、現在の日本社会において復興に向けて叡智を結集し、持てる力を投入している。そのような中にあって、多くのものを破壊した震災後の新しい社会、世界観を構築する場面に宗教者がいかに貢献していくことができるか、新しい社会や世界観に宗教が正当に位置付けられつつある可能性、復興支援において宗教が果たしてきた役割を議論するために今回のシンポジウムが開催された。
震災直後からそれぞれの宗教団体は被災者への支援、避難所の提供、供養・追悼・祈り、心のケアなど幅広い役割を果たしてきた。日本では7割の国民が宗教に無関心であると言われているが、そのような中にあって震災後の社会において、宗教者の果たす役割に強い関心が寄せられていることが伺えている。同シンポジウムは、宗教の可能性に関して、宗教者一人ひとりの尽力やそれを束ねる力強い教団の動きとともに、宗教文化が培う潜在力にも目を向けていくことも目的のひとつとして開催された。
シンポジウムはまず始めに、それぞれの宗教が震災の復興支援に果たしてきた役割について説明がなされた。板井氏は「災害・復興と神道文化―神社をめぐるエピソードから地域での役割を再考する―」と題し、市民ボランティア団体と提携した支援プロジェクト「わわプロジェクト」および、「RQ市民災害救援センター」の働きを紹介した。
災害をめぐる宗教のあり方について板井氏は「宗教者や宗教教団の活動に焦点を当てられてしまいがちな印象がある」こと、「支援の受け手であり、本来の主体であるべき社会や地域住民からみた『適性値』を見極める」ことが必要であること、ただやみくもに支援を増やすのではなく、「支援する側」から「支援を求める側」との関係性の中で、現実的なアプローチを求める視点が必要であることを指摘した。
また神社を中心としながらその地域で脈々と培われてきた人々の関係性(社会関係資本)についても言及し、地域の復興力をエンパワメントする神道文化について「ほどほどの神道文化が、豊かな地域社会の復興力をエンパワメントする力を与えるかもしれない」と述べた。また一般のボランティア団体と異なり、宗教団体のボランティアは「何も言わなくても継続的に、統率して来てくれる」ことから、受け入れ先からも好まれている面もあることを伝えた。
川上氏は「公共性の回復―宗教間協力の成果と展望」と題し、仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク(「東北ヘルプ」)の果たしてきた役割、および今後の計画について説明した。川上氏は、宗教ができることとして「被災者への傾聴と伴走」、「市民への啓発と広報」、「死者への慰霊と鎮魂(追悼と想起)」、「情報の整理と共有」、「行政に対する公共性の獲得(アドボカシー)」が挙げられると述べた。
また、日本社会において「宗教的ケア」が公共的な働きとして受け入れられていないという問題があることを指摘し、今後は医師と同じく宗教者も公共社会において宗教的ケアを行うことができるようになり、「病院の外に宗教が置かれる」ようになるべきであると述べた。川上氏は「20年後には『死者の社会』となります。病院の外に宗教が置かれなければ、医療だけでは限界にぶつかるでしょう」と警告した。
山根氏は宮城復興プロジェクト・リーダーとして創価学会施設を被災者のために開放し、生活支援を行ったこと、創価学会ならではの日常形成してきたネットワークや信仰心が被災地支援を通じ、見える形で訴えるようになったことを証しした。創価学会は全国1200会館に非常用飲料水や食料、簡易トイレを備蓄しているという。またテレビ会議システム、衛星電話、災害時優先電話を整え、防災訓練、自衛消防団、消火器、AED(自動体外式助細動器)を配備し、会館によっては行政の一時避難所となる会館もあることを説明した。
山根氏は創価学会の救援活動の特色として「会員の自発的・主体的行動」「励ましの連帯」「地域社会におけるネットワークと知識」「各種媒体を通した情報発信」「地域や行政との連携」が挙げられると述べた。
震災後の岩手県で災害支援活動、傾聴ボランティア、心の相談室の活動を行うために立ち上げた団体「サンガ岩手」代表を務める吉田氏は、東日本大震災による被災地の課題について「被災地への継続的支援」、「心のケア・支援物資・経済的諸問題」、「悲嘆と喪失感、遺族としての自責の念と罪悪感のある被災者らが震災を乗り越えどう生きるか」、「仮設生活・地域コミュニティー作り・共助の生活の場・孤独孤立問題」が挙げられると述べた。
また宗教者が被災者の求める生きることの意味ややり場のない喪失感、追悼と祈りを共有し、寺や教団でもなく身ひとつあれば生き方を体現してみせられるような震災縁起に対しての言葉やメッセージを持っている必要があると述べた。また宗教の社会に対する役割について「どこに立って、何を見て、これからどうしようということを真剣に考えなければならないが、一般的な社会では生きる意味の『根っこ』をつかせないようにしているのではないか」との問題点を指摘した。また震災に対する宗教の役割として「この未曾有の大震災に向き合い、学び教えを拠り所に寄り添いたい、新しい社会構造・価値観・世界観にチェンジする時期かもしれない。今こそ宗教の可能性を考えたい」し、どんなことがあってもめげないことが、宗教者の強い性質であると述べた。
また復興支援で心のケアの活動のため仮設住宅に訪れようとしても、「宗教活動」の名では仮設住宅を訪れることができないことについて「緊急の時こそ宗教者が動けるはずなのに、一番排除されるのが宗教者となっている」現状についての懸念を表明した。吉田氏は近隣の仮設住宅への心のケア活動は「宗教者」としてではなく「近所のおばさん」として訪問して行っているという。
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