教会に誘われて
二月の寒い金曜日の夜だった。教会は、私の考えていたような建物でなく平屋の民家だった。青年を中心にした聖書研究会が金曜日に開かれていた。リンゴ箱に紙を貼って机の代わりにして畳に座っての学びであった。
毛戸健二先生ご夫妻が教会の指導者であり昨年に結婚されたばかりだった。八畳間が二つか六畳間二つであったか忘れたが、大きな部屋ではなかったことは覚えている。
日曜日の礼拝には部屋いっぱいに人が集まっていた。
五月三日に十名程の仲間に入って洗礼を受けることになった。五月の連休に教会で春の聖会が開かれた。東京から田中敬止という牧師さんが来られての集会が続いた。木曽川で自分のゆかたで水の中に入った。一九五七年のことであった。
朝の祈り
集会を大切にするように指導を受け、朝六時の祈祷会から教会に行くように導かれた。
寮が新しく港区の会社の近くに建設された。教会に導かれる三カ月程前に教会の近くの寮に移って来ていた。神がなさることは不思議である。藤田君は、瑞穂グランドで開かれたオーズボン先生の癒しの集会に行って、キリスト兄弟団名古屋教会を紹介された。それから数カ月後に教会の近くの新しい寮に移るようになり私を誘ってくれたのである。
朝の祈りは金の祈りといわれる。朝六時前になると、神に起こされた。私の部屋は二人部屋で、山下進市君が下のベットで寝ていたので目覚まし時計はかけておけなかった。最初は歩いて朝の祈り会に通ったが、そのうちに中古の自転車を紹介された。寮では玄関の戸が閉まっていたので、自転車を抱えて裏口まで運んだ。時がたって寮母さんが玄関を開けてくれるようになった。
三年間朝の祈りに導かれ、朝の祈りの味を知った。
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