ダメだ! できない!
もうやれん! やめた!
何事によらず、すぐそういってやめてしまう人がいる。
できずにやめた経験を重ねてゆけばゆくほど、ますます自信がなくなって、ついにはできることさえできなくなる。ほかの人にできて自分にできなければ劣等感がつのり、ついにはノイローゼにもなりかねない。
しかし人間には、どんな人にも大きな能力が与えられているものだ。
できる、と信じてやれば、ものすごい力が出てきて、大きなことができるようになるのだ。
ピアノの発表会で、小さな子が上手に弾くので感心したら、教師をしている娘が、「お父さん、このくらいなら、だれでも弾けるようになるのよ」というのだ。私もそうだと思う。だれでも努力さえ惜しまなければ、かなりのところまでゆけるものなのだ。
その娘自身、小学校二年生のころまでは、人前では口もきけない劣等生だった。学級では問題児だといわれていた。涙が先に立って、一切発表ができなかったのだ。それなのに、ある日、突然自信がもてるようになった。それは、幼児のころから習っていたピアノが人に認められ、自信となって身についたからだ。いまでは自信過剰か、一人で、確信をもって、外国へでも出て行く。
人にできることが自分にできなければ劣等感になる。しかし、人にできることが自分にもできるという経験をもつと、小さな自信が生まれる。小さな自信をもって努力をしつづけると、やがては人にできないことができるようになり、いっそう自信が生まれる。そのとき、小さな自信が大きな自信に変わるのだ。大きな自信をもち、かつ努力することが習慣となった人は、ついには偉大な人生を生きることができるようになるだろう。
私は自分が、ほんとうに小さなスケールの人間だということをよく知っている。だけど、神を体験したとき、確信が生まれた。それは、「できるのだ!」という信念だ。スーパーマンやドラえもんのようなことができるというのではなく、自分に与えられた使命や責任はかならず果たすことができる!という信念だ。
「信じる者には、どんなことでもできる!」―キリスト―
「わたしは、わたしを強くしてくださる方によって、どんなことでもできる」―使徒パウロ―
(中国新聞 1982年2月23日掲載)
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