どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。あなたの聖なる山、あなたのお住まいに向かってそれらが、私を連れて行きますように。こうして、私は神の祭壇、私の最も喜びとする神のみもとに行き、立琴に合わせて、あなたをほめたたえましょう。神よ。私の神よ。(詩篇43:3、4)
古代ユダヤ人は「山は神が住まわれる所、海は魔物が住む所」と言っていたようです。旅行するときには、なるべく海沿いの道を避け、山道を選んでいました。また、山は高貴な人が住む所であり、反対に、海沿いの家に住む人は卑しいということで、さげすまれていたようです。
ユダヤ人の思想からすれば、漁師は卑しい仕事になるわけですが、主イエスはその漁師に言葉をかけ、最初の弟子を招かれました。そこにキリストの福音の神髄が示されています。また、使徒ペテロがヨッパの皮なめしのシモンの家に泊まっているときに、ローマ兵の隊長コルネリオの使いの者が尋ねて来たとあります(使徒10章)。
海沿いの家で、しかも人々にさげすまれている皮なめしの家に滞在していたということから、ペテロの宣教の姿勢がうかがえます。イスラエルのヨッパに行きますと、今でも皮なめしシモンの家といわれるものが残っていて、その名残を感じることができます。
聖書に登場する重要なイベントは、ほとんど山と関わりがあると言っても過言ではありません。ノアの箱舟が漂着したのはアララト山、モーセが十戒を授かったのはシナイ山、アブラハムがイサクを犠牲にささげようとしたのはモリヤの山、エリヤがバアルの預言者と対決して、勝利を得たのはカルメル山です。イエスがペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、変貌されたのは高い山でした(マタイ17:1〜8)。恐らく、ヘルモン山ではないかと思います。また、イエスが十字架にかけられたのはゴルゴタの丘でした。
ユダヤ人は、山は神の住まい、または天と地をつなぐ場所という捉え方をしていたようです。ソロモン王はインドとの交易を成功させようとして100隻の交易船を備えましたが、ユダヤ人は海のシルクロードよりも陸のシルクロードを好んだようです。海洋民族として活躍する記録はあまり残っていません。ただ、ユダヤ民族が離散の手段の一つとして海洋ルートを選んだ可能性はあります。
離散のためにシルクロードを東へ移動していく過程で2つの大きな山にぶつかります。天山山脈とヒマラヤ山脈です。天山はキルギス語でテンリ・タグ(神の山)と呼ばれますが、古代ユダヤ人に関するものと思われる遺跡が発掘されています。また、チベットからもユダヤとつながりのある遺物が発見されています。
私は日本語の山という言葉はヘブル語のヤ・マ(神がおられる所)という意味から来ているのではないかと思っています。日本の山岳信仰も、古代ユダヤ人に影響されたと思っていいのではないでしょうか。山伏の格好はユダヤの修行者とあまりにも似ています。鼻の高い赤ら顔のユダヤ人が山伏の格好をしていたら、天狗そのものです。山伏の拠点とされた場所を訪れますと、みそぎのための小さなプールが作ってありますが、洗礼槽に似ています。
古代ユダヤ人は富士山を特別な山と思っていたようです。日本で一番高い山ですから天と地をつなぐにはふさわしいですし、昔は活火山で煙を吹いていましたので、巨大な祭壇に見立てていたとも考えられます。
日本の宗教と山の関わりについて考えますと、神社はほとんど山にあります。平地に建てる場合には鎮守の森をつくることが条件になっているようです。仏教でも高野山や比叡山延暦寺のように、山の上に建てていますし、街中のお寺でも正式には〇〇山△△寺と名称に山を付けるという決まりがあるそうです。そして、中には実在しない山の名前もあるそうです。この山との関わりから、古代ユダヤの思想が日本の宗教界に入っていると考えるのは行き過ぎでしょうか。
今日の世界を見ますと、政界では右と左に極端に分かれ、収拾がつかない状態ではないでしょうか。メディアでは虚実織り交ぜた報道が平然と行われていて、よく見極めなければ真実が分かりません。また、最近では、報道しない自由などというのがまかり通り、真実を見えにくくしています。SNSの世界でも、虚偽の出来事をあたかも真実であるかのように伝えるケースがあります。そこにAIで作成された偽物の動画が添えられますと、本当に分からなくなります。
宗教界も勢いを失っているように見受けられます。気心の知れた仲間と集うだけで何もせず、自己満足に陥っていないか、いつも反省する必要があります。「御国を来たらせたまえ」と祈り、今こそ私たちの心が天に向くべきだと思います。日常の喧騒を離れ、静かな寂しい所で心を静めて祈り、山を見上げるべきではないでしょうか。
私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。(詩篇121:1〜3)
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