患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。……私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5:3~8)
今日は皆さんと「アメイジング・グレイス(驚くばかりの恵み)」という賛美歌の背景を分かち合いたいと思います。この曲を作ったジョン・ニュートンは、かつてアフリカから人間を運び出す奴隷船の船長でした。
彼は金もうけのために多くの尊い命を物のように扱い、途中で死ねば海に投げ捨てるような、まさに「クズ」と自称するほど罪深い生活を送っていたのです。しかし、激しい嵐の中で死を覚悟したとき、幼い頃に母から教わった神様への祈りを思い出し、彼は九死に一生を得ました。
この経験を機に、彼は自らの罪を深く悔い改め、後に牧師となって奴隷制度廃止のために命をささげる者へと変えられたのです。「こんな私のような者さえ救ってくださった」という彼の告白は、どんなに過去が汚れていても、神様の愛によって人生はいつからでもやり直せるという希望を私たちに示しています。
私たちもまた、日々の生活の中でうそをついたり、人を傷つけたりする弱さを持っていますが、神様はそのような私たちを見捨てず、新しい歩みへと招いてくださっています。今日の聖書箇所から3つのことを確認してまいりましょう。
1. 私のために死なれたお方!
自分のために死んでくださった方がいる、それが聖書で語られている「愛」なのです。私たちは、人間の弱さ、いたらなさ、皆がそれぞれ違う罪深さを持っているのです。そこには綺麗事ではないドロドロした汚い感情があり、人には言えない罪深い生き方があるのです。
でも、救い主イエス・キリストが私たちのために身代わりの死を遂げらました。それがキリストの十字架の死であったと聖書は語っています。このイエスを心に迎え入れるなら、古い私たちが死んで、新しい人生をやり直すことができるようになると聖書は語っています。このことに感謝しましょう!
2. 私のために現れた神の愛!
私たちの人生が中途半端なもので終わらないように、神は私たちをとことん愛してくださっています。気付いていないかもしれませんが、神によって愛されているのです! 神は命を与えられた者たちが、神の御旨に従って祝福された人生を歩めるよう愛を注いでくださるのです。
3. 私のために備えられた愛に裏打ちされた希望!
人生には困難や試練がつきものですが、聖書は「患難さえも喜ぶ」という驚くべき生き方を教えています。それは、試練を通して忍耐が養われ、品性が練られ、そこから揺るぎない「希望」が生まれるからです。
神を信じ、祈りながら希望を語るとき、その希望は失望には終わりません。神の愛に裏打ちされ、単なる運任せの人生では終わらない、神に守られ、導かれる人生を歩むことができるのです。
ジョン・ニュートンの人生を暗闇から光へと導いた神様の恵みは、今、あなたにも注がれています。この神の恵みを頂こうではありませんか! 神様の豊かな恵みと共に歩んでいきましょう。
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