人は、神様の創られた世界を見て、さまざまな勝手な解釈をするものです。宇宙の起源、地球や生物の誕生、生物進化など、勝手なストーリーを並べます。
根拠のない偽物のストーリー
聖書の創世記には神様の創造の業が記されていますが、現代社会ではビッグバン起源説や、下等な生物が次第に進化して現在の人類になったとする進化論が、不思議なほど受け入れられています。
これは伝え聞いた話ですが、かつて、進化論者が論文の中で、サルがどのように人間に進化したかを、さまざまな証拠をもって示したそうです。多くの人は、その論文を根拠に進化論を信じたかもしれません。
しかし、証拠の扱いに不備があることを知ったある科学者が、試しに、同じ証拠を用いて、人間がサルに進化(退化)したことを示す論文を書いたそうです。もちろん、本気で書いたとは思えないのですが、出来上がった論文の完成度は、進化論者の論文と遜色のない説得力を持っていたそうです。
結局、進化論は根拠が乏しいのでこういったことが起こるのですが、だからといって、簡単に神様の創造の業を認めようとはしないのが人の常なのでしょう。
同じようなことが、実はモノづくりにおいても当てはまります。現代社会はさまざまな便利なものがあふれ、優れたモノを通し、人の生活は豊かになりました。これも神様からの大きな恵みです。
神様からの恵みは素直に受け取ればいいのですが、現代社会においては欲に目のくらんだ人々が、もうけにつながる歪んだモノづくりのストーリーを作り上げています。
遊園地の小型自動車の進化
今から60年以上前、まだ幼かった私は両親に連れられて遊園地に出かけ、電気モーターで走る小さな自動車(電気自動車)を運転して遊びました。楽しい思い出です。
当時の電気モーターは非力で、あまり機敏に動くものではありませんでしたが、私が小学生になったころ、電気モーターに代わり、出力の出る小型のガソリンエンジンを積んだ自動車が使われるようになりました。
その頃の私にとって、電気モーターは古く、新しい技術として優れたガソリンエンジンが使われるようになったとしか思えませんでした。遊園地の自動車しか知らない私の勘違いでした。
実際の社会では、電気モーターとガソリンエンジン(内燃機関)は常に比較され、両者の開発が長年続けられてきました。どちらの技術にも特徴があり、それぞれの使い方の中で課題を地道に乗り越えてきたわけです。
私が幼少期に勘違いしたように、電気モーターが内燃機関に進化したわけでも、また、現代社会でよく言われるように、内燃機関の課題を解決するために電気モーターが生まれたわけでもありません。
偽りのストーリーを作ってみた
先回のコラムで、内燃機関が地球環境に悪く、電動化がその解決になるわけではないことを述べました。内燃機関から電気モーターへの進化は、現代社会が作り上げた偽りのストーリーです。
偽りのストーリーは、人類進化と同じように同じ証拠をもって真逆のストーリーを作り出すことができます。つまり、サルが進化して人間になったことと、人間が進化してサルになったことを同じ証拠をもって示せるように、内燃機関から電気モーターへの進化とは真逆の、電気モーターから内燃機関への進化を、幼い頃の私の勘違いではなく、ある程度の技術的根拠をもって以下に示します。
① 電気モーターと内燃機関を比較すると、危険な燃料を搭載する必要のない電気モーターの方が安全で使いやすいので、電気モーターを動力源にする電気自動車が普及した。
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② 電気モーターを動かすバッテリーを充電するため、充電器が必要になるが、充電器のインフラ整備が進まず、各車両に発電機(内燃機関)を携帯するようになった。
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③ 発電機を携帯して頻繁に充電するのはユーザーの負担になるので、発電機を車両にあらかじめ搭載して、電気モーターへの充電が自動で行えるようにした。
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④ 発電機として用いられる内燃機関を、電気モーターと組み合わせて動力源としても用いるようになり、燃費も性能も向上した(現在のハイブリッドカー)。
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⑤ 内燃機関の動力性能や排気浄化性能が向上したため、コストアップにつながる電気モーターの必要がなくなり、内燃機関だけで動く自動車が主流になった(現在のガソリン車やディーゼル車)。
技術的にはこちらの偽のストーリーの方が、筋が通っているように思いますが、どちらのストーリーも間違っています。電気モーターと内燃機関は、神様の恵みによって、ともに長い開発期間を経て現代に至ったのであり、どちらかが古く、どちらかが進化したモノではありません。
神の恵みを無駄に受けないように
私たちは、マスコミを通して盛んに流される、内燃機関から電気自動車への進化を示す偽のストーリーをうのみにして、先祖から受け継いだ内燃機関の技術をないがしろにしないようにしたいものです。
神様の与えてくださったモノづくりの恵みを素直に受け取り、感謝して改良を重ね、後世に受け継ぐ姿勢を持ちたいと思います。
私たちは神とともに働く者として、あなたがたに勧めます。神の恵みを無駄に受けないようにしてください。(コリント人への手紙第二6章1節)
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