人間同士の愛には、親子間や男女間の愛など、いろいろありますが、400年前の日本において宣教師は、聖書でいう愛を「ご大切」と教えたそうです。聖書の愛を理解するのに、今でも役立ちます。
1. 完全な愛
私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。(1ヨハネ4:16、17)
他の聖書箇所を用いて解き明かすと、16節は「『神がそのひとり子を世に遣わし、神の愛が私たちに示された』(4:9)ことで、私たちは神の愛を知り、また信じています。神は愛です。神の『御言葉を守っている』(2:5)私たちは愛のうちにいる者で、神のうちにおり、『神が私たちに御霊を与えてくださった』(4:13)ことによって、神も私たちのうちにおられます」となります。
17節は「『私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれ』(ローマ5:5)、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆に御前に立つことができるためです。なぜなら、『キリストが現れたなら、キリストに似た者となることが分かっている』(3:2)私たちも、この世にあってキリストと同じような者であるからです」となります。
このように、他の聖書箇所が啓示されると、御言葉が解き明かされ、真理(見分ける力)と奥義(信仰の力)が明らかにされます。
御言葉を守り、神のうちにいて互いに愛し合うなら、御霊が私たちのうちに与えられ、愛が完全なものとなります。私たちがキリストを信じ、完全な愛となるなら、裁きの日にキリストと同じような者として、大胆に御前に立つことができます。
2. 愛と恐れ
愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。(1ヨハネ4:18、19)
他の聖書箇所を用いて解き明かすと、18節は「信仰による愛には恐れがありません。『聖霊によって心に注がれた』(ローマ5:5)全き愛は、恐れを締め出します。なぜなら、恐れには律法的刑罰が伴っているからです。信仰が未熟な、恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです」となります。
19節は「私たちはキリストを愛しています。神がまず私たちを愛し、『私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされた』(4:10)からです」となります。
御父が私たちの罪のために御子を世に遣わし、御子は私たちの身代わりとなって死んでくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
信仰による愛には恐れがありません。聖霊による全き愛は、恐れを完全に追い出します。もしあなたの愛に恐れがあるなら、それは律法による、信仰によらない愛であり、刑罰を恐れているのです。
3. 愛と命令
神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。(1ヨハネ4:20、21)
他の聖書箇所を用いて解き明かすと、20節は「神を愛する者は『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい』(ヨハネ13:34)との命令を守るはずですが、神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、『兄弟を憎む者はみな、人殺し』(3:15)ですから、その人は偽り者です。『キリストに似た者』(3:2)となることが分かっている目の前の兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません」となります。
21節は「『神である主を愛せよ』(マタイ22:37)という律法を守り、神を愛する者は、『あなたがたも互いに愛し合いなさい』(ヨハネ13:34)というキリストの命令を守り、兄弟をも愛すべきです」となります。
目に見えない神を愛することが律法の第一の戒めですが、目に見える兄弟に対して「互いに愛し合いなさい」というキリストの命令を守ることこそが神を愛する近道だと聖書は教えています。
しかし現実には、神を愛すると言いながら兄弟を憎むクリスチャンがいます。ですから使徒ヨハネはここで、そのようなクリスチャンを「偽り者です」と厳しく戒めています。
まとめ
私たちが御言葉を守り、神のうちにいて互いに愛し合うなら、御霊が私たちのうちに与えられ、愛が完全なものとなります。そうすれば、裁きの日にキリストと同じような者として、大胆に神の御前に立つことができます。
「互いに愛し合いなさい」というキリストの命令を守ることこそが神を愛する近道だと聖書は教えています。ですから、神を愛すると言っていながら兄弟を憎むクリスチャンに対しては「偽り者です」と、聖書は厳しく戒めています。
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