「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」(ルカ23:43)
寒いアラスカに住んでいるご夫婦が、2週間の休暇を取って暖かいフロリダで過ごすことにしました。妻は仕事のことで一日遅れで行くことになりました。
一足先にフロリダのホテルに着いた夫は一息入れた後、家に残った妻に簡単なメールを送ることにしました。ところが彼は、妻のメールアドレスをメモした紙を忘れてきてしまい、自分の覚えている限りの記憶をたどってアドレスを入れて、メッセージを送りました。
しかし残念ながら、そのアドレスは間違っていたために、別の女性のところに送られてしまったのです。そのメールを受け取った女性は、昨日夫を亡くしたばかりでした。
彼女は自分のメールをチェックしようとしてそのメッセージを見て、悲鳴を上げて失神してしまいました。それは次のようなメッセージでした。
「愛しい妻へ:ちょうど今着いたところだ。こちらは想像以上に快適だよ。皆楽しそうに過ごしている。予定通り明日キミが来るのを楽しみにして待っているよ。あなたの愛する夫より」
もしあなたが神様から「明日天国で会えるのを楽しみにしているよ」とメールをもらったら、どんな気持ちになりますか。
あるときイエスは、死んで4日たったラザロの墓の前に立たれました。そして大声で「ラザロよ、出て来なさい」と叫ばれました。すると、死んでいたラザロが手と足を長い布で巻かれたまま出て来たのです。
この出来事は、死の世界について幾つかのことを教えてくれます。
(1)死者は肉体の死にもかかわらず生きている
ラザロはこの地上には存在していませんでした。しかし「ラザロよ」というイエスの呼びかけに対して反応したのです。死人は反応しません。ラザロの人格は、肉体の死にもかかわらず生きていたのです。だからイエスの呼びかけに反応したのです。
ある人は「人は死んだら何も残らない。全ては無になる。火葬場で灰になって終わりだ(灰、それまでよ)」と言います。それはうそです。死とは私たちの肉体と霊とが分離することです。肉体はやがて土に帰り、霊はそれを与えてくださった神のもとに帰ります。人間の霊は永遠に存在します。
キリストを信じて罪赦(ゆる)された人の霊は死後、キリストと共にあるパラダイスに行くのです。イエス・キリストは、十字架の上で信仰告白した強盗に言われました。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」
米国のシカゴにムーディー・バイブル・スクールがあります。創立者はドワイト・L・ムーディーです。彼の記念品が陳列してある部屋には、自分の死を目前にして彼が書いた手紙が置いてあります。
「いつか、あなたがたは新聞でムーディーが死んだという記事を読むでしょう。しかし、それを一言も信じてはなりません。その瞬間、私は現在以上に生きているのです。私は1837年、この世に生まれました。1855年、聖霊によって新しく生まれました。肉によって生まれたものは必ず死にます。しかし御霊によって生まれたものは永遠に生き続けるのです」
ラザロが死んでも生きていたように、ムーディーも、死んでも生きているのです。そして私たちもまた、死んでも生きるのです。
イエス・キリストは言われました。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか」(ヨハネ11:25、26)
(2)死者は近くにいる
この私たちが生活している世界と死後の世界とは、はるかに遠く離れているのではありません。イエスが「ラザロよ、出て来なさい」と叫ばれると、ラザロはすぐに墓から出て来ました。天国は、私たちが考えているほどそんなに遠く離れてはいません。空のはるか上でもなければ、何億光年の星のかなたでもありません。
米国の有名な伝道者ビリー・グラハムは、彼の祖母が亡くなった日のことを次のように語っています。
「祖母が息を引き取った日、暗い部屋で祖母のそばに座っていたのですが、突然部屋が何かの光で明るくなった。そして今までベッドの上で起き上がることもできなかった祖母が急に体を起こして『イエス様が私の方に片手を差し伸ばしておられる』そしてさらに、南北戦争で片足と片目を失い、既にイエスのもとに帰った祖父の姿も見えると言い、しかも『祖父の目も足もちゃんとそろっている』と言ったのです。それから祖母は息を引き取り、部屋は再びもとのように暗くなったのです」
イエス・キリストを信じる人々にとって、肉体の死はもはや恐るべき出来事ではないのです。
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