「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる」(イザヤ書9:6)
世の中には、絶対読めないような名字の人がいます。
一(にのまえ)
十(つなし、「ひとつ、ふたつ・・・ここのつ、とお」)
御手洗(みたらい)
月見里(やまなし、月がよく見える里なので山がない)
小鳥遊(たかなし、小鳥が遊んでいるのでタカはいない)
十二月三十一日(ひづめ、大みそかで日が詰まっているので)
名字だけでなく、もっと読めないのは名前の方です。最近は「キラキラネーム」といって、何と読むのか見当もつかないような名前がたくさんあります。親もいろいろ考えて付けるわけです。
しばらく前のことですが、自分の子どもに「悪魔」という名前を付けようと役所に届け出た人がいました。それを聞いた多くの人はびっくりしました。父親は彼なりに子どものことを考えて「悪魔」に決めたのです。その理由とは、一度聞けば絶対に忘れられない名前ですし、どんな困難にも敗けない強い子に育ってほしいからということでした。
結局、市は子どもの福祉を害する可能性があるとして受理しませんでした。ちなみにこのお父さん、その後に覚せい剤取締法違反で二度も逮捕されています。
米国でも、自分の名前を「サンタ・クロース」に改名したいと届け出た男性に対して、オハイオ州の裁判所は申し立てを退ける判決を下しました。男性が死亡したとき、「サンタ・クロース」死亡のニュースを聞いて、子どもたちが希望を失う恐れがあるからという理由でした。
旧約聖書の預言者イザヤは、イエス・キリスト誕生の700年以上も前に、やがて来られる救い主(メシヤ)について「ひとりの男の子」の名前を告げてその実質を紹介しています。英語で「メサイヤ」を歌ったことのある人はご存じです。
〝and His name shall be called Wonderful, Counselor, The mighty God, The everlasting Father, The Prince of Peace.〟
ジョン・ウェスレーは「この5つの名前をじーっと眺めていると、イエス・キリストが私たちの人生にどんなに深く関わってくださる方かが分かるではないか」と言いました。ある神学者は「Wonderful(不思議)」という言葉は、この後の4つの言葉全部にかかる言葉として理解してもよい」と言います。
考えてみれば、イエス・キリストの生涯は驚きに満ちていました。まず、その誕生に関して多くの預言(ベツレヘムで生まれ、ダビデの家系から、処女から生まれる)があり、その通りに来られました。
その生涯も驚きに満ちていました。イエスは罪のない生涯を送った歴史上唯一の存在で、その教えも人の知恵をはるかに越え、その御業も愛と力に満ちていて、常に驚きに満ちたものでした。イエスの十字架の贖(あがな)いの死も、それに続く復活も、その後の昇天の出来事も全て驚きに満ちていました。やがて世の終わりに栄光の雲に包まれてこの世界に再び臨まれるとき、世界中の人々は驚きをもって見ることでしょう。
このイエス・キリストを救い主として受け入れ、この方と共に歩む人の人生も「ワンダフル・ライフ」になることは間違いありません。
2008年の北京オリンピックで米国の旗手を務めたのは、アフリカ・南スーダン出身のロペス・ロモン選手でした。1991年、ロペス(当時の名はロペペ)は6歳で、反政府組織・人民解放軍によって教会から拉致されます。
当時旧スーダンでは、アラブ系住民の多い北部のムスリム政府と、黒人系住民の多い南部の人民解放軍との間で20年以上内戦が続き、200万人もの死者が出ていました。人民解放軍は拉致した子どもたちを少年兵にするため、養成所に入れていました。脱走を試みると射殺されました。
ロペペも年上の少年3人と脱走し、故郷を目指して走りますが、3日後にケニアの国境警備隊に発見され、保護されました。
ロペペらは、故郷とは逆のケニアに向かっていたのです。彼らは、教会が運営するケニアの難民キャンプに収容されますが、ロペペは空腹と寂しさを紛らわすためにサッカーをし、野原を走り回ったのです。
当時を振り返って、彼はこう言っています。「あの頃は、神様だけが支えでした」
ロペペは難民キャンプでロペスと呼ばれるようになりますが、15歳の時、2000年のシドニーオリンピックのビデオを見て、陸上選手に憧れました。翌年ロペスは、戦争孤児3800人を養子として米国に移住させる教会の難民救済プロジェクトに選ばれて渡米しました。
16歳になっていたロペスは、ニューヨーク州のタリーでロジャース夫妻の養子となりました。ロジャース夫妻は教会でスーダン難民を養子に迎えるプログラムを知り、それに参加することが自分たちに与えられた神からの使命だと受け取ったのです。
ロペスは養子という立場を理解するのに6カ月近くかかったといいます。誰かがお金を払って自分の面倒を見てくれることなど信じられなかったのです。高校に編入したロペスは念願の陸上部に入り、クロスカントリーのランナーとなります。
2003年のある日、殺されたと思っていた母親から国際電話が入りました。ケニアに逃れた両親は、難民キャンプの関係者から偶然ロペペの消息を聞いたのです。彼はすぐに母に会いに行きたかったのですが、米国の市民権を持たない彼は、パスポートが取得できませんでした。
一流選手になれば市民権が得られると知ったロペスは、陸上の名門、北アリゾナ大学へ進学します。愛する家族と会うために猛練習を始めます。そして2007年、全米学生選手権で優勝。全米の大学生の頂点に立ったのです。
米国の市民権を獲得したロペスは、クリスマスに両親の暮らすケニアに行き、6歳で拉致されてから17年ぶりに再会します。故郷の人々が数十年続いた内戦で疲弊し、生きる希望を失っているのを見たロペスは、オリンピックに出場して人々を勇気づけたいと決意します。
そして2008年7月、北京オリンピックの1500メートルの米国代表に選ばれ、開会式で旗手を務めたのです。
ロペス選手は言います。「アフリカにいたときは、銃弾から逃れるために、また自分を少年兵にしようとする者たちから逃れるために走っていました。しかし、神は私のためにご計画を持っておられたのです。私は今、スーダンの悲劇を世界の人々に知ってもらうために走っているのです」
彼はその後、2012年のロンドンオリンピックで5千メートル走に出場しました。今は基金を立ち上げ、ワールド・ビジョンというクリスチャンの団体と共同で、スーダンに安全な水、教育、保健、食糧を供給する活動をしています。
現在、オレゴン州に家を購入し、米国市民として暮らしています。また、弟たちをケニヤから呼び寄せ、学校に通わせています。かつて「絶望」の中にいた少年が、神の導きと助けによって、自分自身が希望を見いだしただけでなく、絶望の中にある人々に希望を与え続けているのです。
イエス・キリストと共に歩む人全てに、神は「ワンダフル・ライフ」を提供してくださるのです。
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