多死社会を迎え、さまざまな働きが日本人のエンディングを支えています。それらの内容は、介護、医療、亡くなったときの葬儀やお墓に関すること、その後の遺産相続、身辺整理など、幅広い分野にわたっています。
それぞれの分野には、専門家や多くの事業者が存在し、固有のサポートを提供していますので、不安を抱える当事者や家族にとって、大変ありがたい支えになっています。
ところが、前回のコラムでお伝えしましたように、分野を超えて連携する専門家が少ないこと、さらに、肝心の「死」に直接寄り添える専門家(宗教者)が身近にいないことから、納得できるエンディングになりにくい課題を抱えています。
「死」に寄り添えない宗教者
日本人の約80%が仏式葬儀を行っていることから、本来、宗教者として仏教の僧侶が、直接「死」に寄り添うべきかもしれません。しかし仏教は、葬儀仏教として長年、日本文化の中に組み込まれてきましたので、僧侶は、死後でなければ寄り添えないように思います。
一方、キリスト教の牧師や神父は、教育や福祉における貢献もあり、生前から寄り添うことを期待されています。キリスト教の病院や施設の中には、生前から「死」に至るまで寄り添い、その後のキリスト教葬儀や納骨の働きをサポートするところも存在します。
また、日本各地に約6千カ所もある地域教会の教会員は、多くの場合、生前から「死」や死後に至るまで、牧師のサポートを受けることができます。慣れ親しんだ教会に集う高齢者にとって、教会の存在は大変ありがたいものだと思います。
しかしながら、大半の日本人は、キリスト教との接点が少なく、地域教会とは疎遠な関係にありますので、生前はもちろんのこと、「死」に関わる全てにおいて、地域教会のサポートを得られない状況にあります。
キリスト教の死生観
キリスト教の死生観には、他の全ての死生観と比べ、「死」に対する明確な解決が存在し、「死」の痛みを乗り越えるいのちの輝きが示されています。イエス・キリストの十字架と復活は、歴史上の事実であり、信じる者に「死」に関わるあらゆる暗闇の解決を与えています。
以下の絵は、私が終活セミナーで用いている、聖書信仰に基づく死生観のイメージです。
人は、生きていく中で、さまざまな試練や痛みの体験をします。「死」に向かって身体が弱まる中、不安は募るばかりです。
通常、人はそれらの暗闇を処理できず、「死」の不安を抱えたまま、弱さを重ねることになります。しかし、それらの全てがイエス・キリストの十字架によって処分され、彼の復活によって永遠のいのちの希望が与えられると、聖書には示されています。
信仰者のうちに住む聖霊は、そのことを強く示してくれますので、「死」に向かう弱さの中にあっても、「死」を乗り越え、目標である天国の前味を実際に味わうことができるのです。
キリスト教の「死生観」が日本を救う
多くの日本人は、死んだら「天国」に行くと漠然と考えています。根拠もなく、実体に触れていなくても、「天国」を求める気持ちが伝わってきます。これらの日本人に、分かりやすく「天国」の希望をお伝えする役割は、それぞれの地域教会が担っています。
(一社)善き隣人バンクとブレス・ユア・ホーム(株)は、地域教会が、それぞれの地域住民に寄り添い、「傾聴」の働きを通して「善き隣人」となり、「天国」を目標に、輝いた人生を送れるように、さまざまなサポートを備えてきました。
働きの展開は着実に進み、やがて地域教会が地域の葬儀文化を担い、キリスト教の「死生観」が日本人を救うことになると信じています。日本人にとって「天国」は、実体のある人生の目標になることでしょう。
全国の教会に出向き、終活セミナーを実施しています。お気軽にご相談いただければ幸いです。広田(電話:080・3645・8107)まで。
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