私たちの負いめ(負債)をお赦(ゆる)しください。私たちも、私たちに負いめ(負債)のある人たちを赦しました。(マタイ6:12)
古代から現代に至るまで、人類は負債に苦しんでいるのではないかと思います。真面目なクリスチャンの中には、借金をしていることを罪悪視して誰にも打ち明けられず、一人で抱え込んで窮地に陥る人もいます。
借金地獄に落ち込むきっかけは、人それぞれではないかと思います。病気や失業、事業が思うように進まず、借金を抱えたケース、あるいは、生活苦のためにやむなく手を出したところ、金利が高く、身動きが取れなくなることもあるようです。
福音書の中には、債務整理の話(ルカ16:5〜7)や債務免除の話(マタイ18:27)があります。実はこれと同じような国の制度があり、救済は法律上、保証されていますが、知らない人が多いのではないかと思います。
現行制度の中でも、債務を3分の1や5分の1、10分の1にカットできる手立てがあるようです。しかし、負債の減免に関する手続きができるのは弁護士だけですので、信頼できる弁護士を探すことが第一歩ではないかと思います。くれぐれも、コマーシャルなどに流される甘い言葉には注意しなければなりません。
この社会では、人と人の思いがけない出会いで事態が急展開することがあります。幕末の江戸沖にペリーが4隻の黒船を引き連れて現れたことにより、江戸社会は混乱に陥り、鎖国していた日本は門戸を開くことになります。
ジョン万次郎が世話になっていたホイットフィールド船長は、ペリーと親戚関係だったそうです。万次郎は、漂流中に米国の捕鯨船に救われ、船長の自宅があるマサチューセッツ州フェアイーブンに落ち着きます。船長の養子になり、高等教育を受けさせてもらいます。日本に向かおうとしていたペリーが、万次郎から日本に関する情報を得たことは間違いないと思います。
日露戦争直前、日本は戦費の調達に苦戦していました。大蔵大臣の高橋是清はニューヨークで資金の調達に失敗し、ロンドンに向かいます。キャメロン首相の高祖父、ユーウェン・キャメロンと出会い、英国銀行団より500万ポンドを借ります。目標の1000万ポンドに半分足りません。その時、米国の金融家、ヤコブ・シフに出会います。シフは500万ポンドの提供を約束します。シフはユダヤ人でしたが、同胞のロシアからの解放を願っていましたので日本に協力したのです。そして驚くことに、シフとペリーは親戚つながりだったというのです。
高橋是清が調達したのは、当時の国家予算の5年分だったといいます。この資金を基に装備を整えて戦争に勝利しますが、その直後から返済が始まります。この返済が完了するのは、何と80年後の1986年です。途中で大戦や戦後の苦境があっても支払いを続行したおかげで、日本は信用度の高い国になったそうです。大戦に巻き込まれると、債権放棄されることが多いらしいです。
江戸時代の薩摩藩は外様大名でしたので、藩の勢力が伸びないようにいつも無理難題を与えられていました。江戸城の補修工事や木曾川の治水工事などです。そのために多額の出費を必要とし、藩の財政は赤字でした。工事代金の支払いなどはいつも関西の豪商から借りていました。
支払いが滞って、どこも貸してくれなくなり、藩の財政が破綻するかもしれないというとき、財政改革のために調所広郷が家老に取り立てられたのです。調所は藩の支払いを最低限に抑え、緊縮財政を実施します。大阪の薩摩屋敷に豪商たちを集め、債務の支払いを利息なしの250年賦にするよう要求しました。この時、刀で脅したという人がいますが、そのようなことはなかったと思います。豪商からすれば、破綻してゼロになるより、少しでも返ってくればいいという気持ちだったのではないかと思います。今でいうところの債務整理だったのです。
調所はこの後、資金づくりに取りかかります。奄美の砂糖に付加価値を付けて全国に売り出します。北海道の昆布を琉球に売り込みます。琉球経由で中国と密貿易し、漢方薬の原料などを取り寄せるようにします。そのようにして、当時の借入金と同じくらいの金額を生み出しました。今の金額にすると、およそ5000憶円だそうです。この資金が明治維新で活用されました。
明治に入り、廃藩置県が行われたので、薩摩藩の豪商への年賦金はうやむやになってしまいました。調所家の7代目、調所一郎氏は、京都の料亭で豪商の子孫と会う機会があったそうです。その時「自分の先祖が大変申し訳ないことをしました」と謝りました。すると、豪商の子孫は意外なことに「うちの先祖は薩摩さんのおかげでもうけさしてもらいました」と言ったそうです。薩摩藩は、密貿易で入手した原料などの販売元として、借金していた豪商を指定していたのです。
どんなに経済的苦境に陥っても、解決方法はあります。四方八方が塞がれ、途が閉ざされたように見えるときは、天を仰げばいいのです。キリストが十字架上で発せられた7つの言葉は、私たちの魂に響きます。その最後の言葉は「完了した(テテレスタイ)」(ヨハネ19:30)ですが、ヘブル語のビジネス用語だといわれます。「支払いが完了しました」とか「完済しました」という意味なのです。キリストは、自分の身を犠牲にして、私たちの負い目を払ってくださいました。
私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。(詩篇121:1、2)
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