ウクライナのペンテコステ派教会と福音派教会が考えられない成長を遂げている。
「教会は、神を求める人々であふれ返っています!」そう伝えるのは、ウクライナのアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の宣教師で、過去1年間ポーランドでウクライナ難民のためのセンターを運営してきたジェーン・ダラー氏だ。
このことは、100年の歴史を持つウクライナ・ペンテコステ教会の主任監督であったミハイロ・パノチコ氏の言葉にも確認できる。彼は「この国には霊的飢餓があり、多くの人々が洗礼を受け、弟子として歩み始めています。収穫は非常に大きいのですが、働き手や奉仕者、人々を養い成長させ、キリストにあって成熟させることのできる人々が不足しています」と述べた。
例えば、かつて占領された南部の都市ヘルソンの小さな教会には500人以上の新しい人々が集っているが、たった一人の牧師だけで奉仕している。フェローシップの1700の教会と11万5千人の信者は、敵対行為に対応するため、両者の隙間に入り、新しい思いやりのある方法で宣教することを学んだ。
「本格的な侵略は、私たちの国に対する宣教における教会の驚くべき可能性を示してくれました。教会はすぐに、困っている人々を助けるための社会的プロジェクトを開始しました。ペンテコステ派の教会は、戦闘地域から合わせて10万人を救出し、避難させたのです」とパノチコ氏は述べる。そうした地域には、ロシアとの東部国境地域も含まれる。
2月下旬、キリスト信者の小さなチームが、食料と聖書を積んだバンとトレーラーで敵地に乗り込んだ。昨年秋、ロシア軍が占領地から撤退したとき、ペンテコステ派の教会チームはイジウムのような場所にいる人々に食料、衛生用品、医薬品を届けるために、いち早く駆けつけた。
爆撃で粉々に破壊された高層ビルが立ち並ぶ通りは廃墟となり、行き交う人々の姿はほとんどなかった。幾つかの都市では、ペンテコステ派の信者が占領解除後に初めて住民にパンを届けた。「これは、教会にとっては全く新しい未知の領域でした」とパノチコ氏は言う。
紛争の最前線から6マイル離れたライマンで、キリスト信者のチームは、軍隊が進軍する間に位置する村で食料と無料の聖書を降ろした。近くで大砲が鳴り響き、戦車が森に潜み、数百人の兵士が前線を行き来するぬかるんだ道を横切りながら、チームは村人たちと談笑していたのだ。
ある母娘が近づいてきて、彼女たちが「祈りの家」と呼んでいる近くの福音教会をどうやって見つけたのか、目を輝かせて話してくれた。
「今では家族全員が教会に行っているわ!」母親は「教会なしでは生きていけません!」と、聖書を片手に自信たっぷりに話した。戦争が押し寄せたとき、水も電気もない地下室で、信仰がどれほど彼女たちの支えになったのかを2人は教えてくれた。彼女たちは軍隊に囲まれながらも、キリストにある新しい命を見いだしたのだ。
何人かの人々が留まる一方で、何百万人もの人々が逃げ、国内避難民となった。ウクライナ西部の教会は、何千人もの人々に門戸を開いた。「教会は、国外に出るために国境へ向かう人々に住居を提供しました。聖堂、講壇、牧師室、日曜学校の教室、至る所にマットレスが敷き詰められていました。ペンテコステ派教会は、AGWMの援助を受けて、国境に向かおうとする人々を助けるためにセミ・トラックを購入しました。燃料を満載した約150台の車両を常に走らせ、何千人もの女性、子ども、老人たちを前線から遠ざけるために運んだのです」とパノチコ氏は言う。
ウクライナのペンテコステ教会のフェローシップは、危機に瀕した人々に5万トン以上の人道的支援を届けた。冬には、教会の男性たちが簡単なストーブや薪を作り、紛争地域の人々に届けた。婦人たちは、電力がなくても直火で温められる魚などの缶詰を作って寄付した。「教会は、今こそ困っている人々にイエスの憐(あわ)れみを示す最良の時だと理解していました。人道的支援に加え、私たちは100万冊以上の新約聖書を人々に贈りました」とパノチコ氏。
さらに、ウクライナの西隣の国で、比較的裕福なポーランドのワルシャワでは、ウクライナ難民の間でリバイバルが起きている。若者たちは毎日、繁華街で路傍伝道や地下鉄伝道を行っており、彼らの陽気なギター演奏や歌声に誘われ、若者たちが聖書研究や教会の集会に集まってくるのだ。
ある木曜日の夜、45人の若者たちが屋上の部屋に集まり、祈り、礼拝し、談笑し、聖書について語り合った。全員がウクライナの戦争から逃れてきた人々だ。アレクサンダーはファーストネームだけを名乗り、集会をリードした。
「こんなにもウクライナの人々が心を開いて福音を聞く、このような時を私たちは見たことがありません」と、ペンテコステ派の教会のネットワークを牧会するアレクサンダーは言う。
「何年も前にリバイバルについて話したとき、私たちは平和な時代にとても素晴らしいことが起こり、皆が悔い改めるだろうと考えていました。ですから、戦争によってそうなるとは思ってもみませんでした。人々がこのような形でイエスについて聞くようになるとは想像すらできなかったのです」
ウクライナの都市クレメンチュクでは、ある独立系福音教会がわずか数カ月で4倍以上の規模になった。ウラジミール・アヴィロフ牧師は、日曜日の朝、教えや音楽、交わりのために集まってくる人々を収容するため、繁華街に大きなホールを借りた。
彼は言う。「いつも教会に人を招待していましたが、戦争の前は誰も来ませんでした。ところがある瞬間から人々が続々とやって来て、ますます多くの人々が来るようになったのです」
妻であり母親でもあるヤナ(33)は、こうした新しい信者たちが見いだした喜びについて熱心に語った。「ここの状況はひどいですが、私たちは神を信じています。毎日『神よ、助けてください。わが軍と兵士、われわれの家族をお守りください。戦争を早く終わらせてください』と祈っています」
キエフでは、ジェーン・ダラーの夫ジェラルドが、福音主義神学大学で財務管理責任者を務めている。彼は、爆撃とロシア軍の包囲の間、街を離れず、地元の人々への教会の援助を調整する働きを担った。
「戦争が始まったとき、ペンテコステ教会は援助ネットワークを作る必要がありませんでした。信徒たちは、人々を援助し助けることで驚異的な成長を遂げました。ペンテコステ教会が重要な援助の源になったのです。人々が教会の敷地内で何時間も援助を受け、誰もしてくれなかったような奉仕を受け、愛され、世話をされると、そこに引きつけられるものが生まれます。それは人々を十字架に引き寄せるのです。教会ほど優れた援助組織はありません。戦争が終わると、教会はこれまでとは違ったイメージを持つようになるでしょう」と述べ、ジェラルドは話を締めくくった。
戦争は悲惨かもしれない。しかし、平和な時には教会に目もくれなかった人々が、今ではこぞってそこに集い、生けるキリストを見いだしている。トルコのシリア難民キャンプで奉仕していた宣教師の姉妹が以前、涙ながらに熱く訴えていた言葉が脳裏をよぎる。
「平和のために祈らないでください! 平和のためではなく、人々が救われるために祈ってください! この難民キャンプでは、平時には聖書に見向きもしなかったシリア人たちが、今では熱心にそれを求めて救われています。平和のためにではなく、救いのために祈ってください」
主イエスは言う。「バプテスマのヨハネの日から今に至るまで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています」(マタイ11:12)
ウクライナでは、人々が激しく奪う者のように、天の御国になだれ込んでいる。彼らは極限の状況で、明確にキリストを見いだし、キリストの平安と喜びを得ている。悲惨な戦禍の中に咲く希望の花だ。何という感謝だろう。
うれしい悲鳴だが、収穫は多いが働き人が少ない。ウクライナの救いの拡大とともに、生まれたばかりの子どもたちが適切な霊の乳を得ることができるよう、奉仕者が早急に育成され、弟子化されるよう祈っていただきたい。
■ ウクライナの宗教人口
正教 61・2%
プロテスタント 5・8%
カトリック 10・1%
無神論 19・5%