現在世界では、強いイスラム地域に加え、インドのヒンズー主義、独裁政権下などの地域では、物理的な迫害の拡大傾向が著しい。しかし感謝すべきは、南米やアジア、アフリカ地域では絶え間のないリバイバルが継続していることだ。
また、一見迫害とは無縁であるかのように見える西側の自由世界では、現在進行形で「寛容の名の下の不寛容」とも呼べる事態が起きている。毎年6月の同性愛推進キャンペーン「LGBTプライド月間」では、賛同を拒否したためにバッシングされる敬虔なアスリートや著名人の記事にいとまがない。一方、生命の尊厳のために、不慮の妊娠をしてしまった女性たちを支援するプロライフ派の活動が、著しい制限と取り締まりを受けている。
そこに透けて見える悪魔の手口は「聖書的価値観」への攻撃だ。われわれの時代は、聖書に基づく男女観や生命倫理を公言したとき、ついにそれが取り締まりや刑事罰の対象となる時代に突入したのだ。
例えば、ローマ人への手紙の講解説教をする牧師が、同書1章26〜28節までを、保守的伝統に基づいて教会で説教した場合、今後この説教が告訴される事態が起き得る未来は、荒唐無稽の空想話ではなくなってしまったのだ。
民族存亡の岐路に立たされたエステルに、モルデカイは痛烈なチャレンジをした。「あなたは、すべてのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない」(エステル4:13、14)と。
今の時代のスピード感と空気感から察するに、沈黙をもってやり過ごそうとするなら、気が付いたときには包囲網が敷かれ、抵抗自体が不可能に陥っている状況は、決して遠い未来の話ではない。ナチスに立ち向かったニーメラーの、自らの沈黙を自戒した言葉が脳裏をかすめる。
主イエスは言われた。「いいですか。わたしは狼(おおかみ)の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい」(マタイ10:16)。今の時代、決して「沈黙は金」とはならない。鳩の素直さだけではなく、蛇の賢さが必要だ。
私たちが生きている地上生涯を船旅に例えるなら、われわれの乗船している船は、決して豪華客船ではない。それは戦場のただ中を航行する軍艦なのだ。目を覚まして祈り、悪い時代に備え、心の武装をしよう。
ナチスが共産主義者を連れ去ったとき、私は声を上げなかった。
私は共産主義者ではなかったから。
彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声を上げなかった。
社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員らを連れ去ったとき、私は声を上げなかった。
労働組合員ではなかったから。
彼らが私を連れ去ったとき、
私のために声を上げる者は誰一人残っていなかった。(マルティン・ニーメラー)