前回は、『ノルウェイの森』の中に出てくる永沢さんの言葉を通して、変化の激しい時代において、はやりの知識だけを追い求めるのではなくて、古典を読むことの大切さを確認しました。そしてまた、悠久の「時の洗礼」を経て世界中で読まれている聖書の特異性、古事記との類似点などについて語りました。今回は、よりダイレクトに旧約聖書のメシア預言について書かせていただこうと思います。
このたび新たに国政政党となりました参政党の国会議員、神谷宗幣事務局長が数年前に、いろいろな先生を招待して学びを深めるユーチューブ番組をされていました。その時に聖書の学びに関しては、赤塚高仁(こうじ)先生から学ばれていました。この赤塚先生は、糸川英夫氏の後を継いで「ヤマト・ユダヤ友好協会」の会長をされている方ですが、聖書に対する造詣が大変深く、著作の『ユダヤに学ぶ「変容の法則」』(140〜142ページ)において、メシア(キリスト)預言についてとても的確な指摘をされていますので、少し引用させていただきたいと思います。
旧約聖書の中には、やがて現れるメシア(救世主)の登場を預言する文章がたくさん出てきます。たとえば、預言者イザヤはこう書いています。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって私たちはいやされた。(イザヤ書53・5)「人々のそむきの罪」のために刺し通され、「人々の咎」のために砕かれた人物と言えば、どう考えてもイエス・キリスト以外にいないように思えるのですが、イザヤ書が書かれたのは、イエス誕生の700年も前のことです。(中略)
旧約聖書にはイエス・キリストについての預言と思われる箇所が300以上もあることから、後に強大になったキリスト教が、旧約聖書に手を加えて救い主の出現を演出したのではないかという疑惑もあったようです。
しかし、「死海文書」の発見で、イエスの生まれる前に書き写されたイザヤ書がすべて見つかっており、考古学的にも旧約聖書がイエス以前に完成していることが証明されています。
死海文書には、救い主が誕生する町、処女が身ごもること、死の様子、葬られる墓のことなどが事細かに記載されています。そして、そのすべてが成就しています。
だから、イエス・キリストこそ神がお遣わしになった救い主であるとして、誕生した宗教がキリスト教なのです。知れば知るほど、人智を超えた、巨(おお)きな力の存在を感じざるをえない聖書の世界です。
偉大な人物の後に、弟子たちが多く輩出されるというのはよく起こることです。しかし、その人物が生まれる前に、その人の出現が預言されるというのは、とても特異なこと、普通なら絶対にあり得ないことです。
ところが、例えば力を持った王様が、過去の文章を焚書(ふんしょ)したり、改ざんしたりして、自分の王位の正当性を主張することは、人為的に行えます。
ですから少し前までは、強大になったキリスト教が旧約聖書に手を加えて、救い主の出現を演出したのでは、という疑惑があったわけです。といいますのも、聖書のオリジナルというのは現存していなくて、その当時には、キリスト誕生以降の新しい写本しかなかったからです。
しかし、「二十世紀最大の考古学的発見」といわれる死海文書が1947年に発見されたことにより、考古学的にも旧約聖書がイエス誕生以前に完成していたことが明らかになりました。
そうすると、メシアであるキリスト・イエスの誕生が、その誕生前に預言されていたことが、科学的な事実として証明されたことになるので、赤塚先生はそこに「人智を超えた、巨きな力の存在を感じざるをえない」と仰っているのです。
しかもその預言が1つや2つだったら「偶然一致したのかも」と言うことができるかと思いますが、そのメシア預言は旧約聖書の中に300以上あり、ことごとくキリストにおいて成就しているのです。そして実は、ご自身で聖書を読まれると、概知の箇所以外にもさらに多くの発見をすることになります。極端な話をすれば、旧約聖書全巻がイエス(メシア)について書かれていると言っても過言ではないのです。キリスト自身、大胆にもこのように証言されています。
あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。(ヨハネの福音書5:39)
数あるメシア預言の中から、今回はキリストの誕生に関する箇所を、2箇所一緒に読んでみたいと思います。
ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。(ミカ書5:2)
まずはキリストが生まれる場所について、預言されています。それはベツレヘムという小さな村でした。有名な「東方の博士たち」も、最初はキリストがどこで生まれるのかが分かりませんでした。しかし、上記の預言があったので、キリストが誕生したときに、ベツレヘムに行ってお会いすることができたのです。それでは、もう一つの預言を読んでみましょう。
それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を「インマヌエル」と名づける。(イザヤ書7:14)
この預言の通りに、キリストは処女マリアから生まれました。これは単に「奇異なことが起きた」という話ではありません。福音書の記述によると、メシアであり、子なる神であるイエスの誕生は「男の子孫」としてではなく、「聖霊なる神」によるものだと記されています。イザヤ書よりもさらに古い時代に書かれた創世記にも、メシアが「男の子孫」ではなく、「女の子孫」として生まれることが預言されて、聖書の一大テーマとなっています。
彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。(マタイの福音書1:20、cf. ルカ1:35)
ところで、前回言及しました古事記の最初に出てくる造化三神のうち、3番目に出てくる神様は「神産巣日神(かみむすひのかみ)」という名前ですが、「産巣日(むすひ)」という言葉は、江戸時代の国学者・本居宣長によりますと、「生・産(むす)」+「霊(ひ)」という語から来ているとのことです。つまり、「神・産む・霊・の神」と読むことができるということです。今回は長くなり過ぎますので、これ以上詳細に説明することはしませんが、「子なる神」であるキリストが「聖霊なる神」によって生まれたということを知っていると、少し不思議な感じがします。
上述したことに関しては、はっきりとしたことは言えませんが、はっきりと言えることもあります。それは、預言の通りにキリストが誕生されたことが、私たちにどのような意味を持っているのかという点についてです。それは一言で言えば、キリストの十字架の死にも、また意味があったということです。
十字架でキリストが死んだことは有名ですが、もしも彼に関する預言が何もなく、彼が単に偶然生まれた優れた人物であるとしたら、彼の十字架の死もまた、「一人の偉大な昔の人の死」以上の意味を持ち得ませんし、今日の私たちともあまり関係のない出来事だということになります。
しかし、彼が聖書の預言通りに誕生した人物であれば、彼の死に関する預言もまた、真実であるということになります。それは先ほど赤塚先生が引用したイザヤ書などに明確に書かれています。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。(イザヤ書53:5)
新約聖書は、さらに明確にその意味を宣言しています。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を(あなたを)愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネの福音書3:16)
このように、悠久の「時の洗礼」を受けたという意味においても、文化や民族の壁を越えて世界中で読まれているということにおいても稀有(けう)な存在である聖書が語っているのは、非常にシンプルで普遍的なメッセージです。
それは、「神があなたを愛している」ということです。
そしてあなたの罪や咎を贖(あがな)うために、キリストが十字架で死なれたということです。まさにそのために、キリストは聖霊によって、この地に誕生されたのです。これがクリスマスです。このようなことは、はやりの本には書いてありませんし、先端の科学技術やAIの発達によって明らかになることでもありません。このことは、昔から、永遠の昔から神によって定められていたことであり、数千年前から世界中で読まれている聖書の中に、明確に預言されていたことなのです。「神があなたを愛している」という喜ばしい知らせ「福音(Good News)」を受け入れ、主のご生誕を共にお祝いするクリスマスとなればと思います。
前回も触れましたが、那覇市のライフセンタービブロス堂さんにて、クリスマスのイベントをさせていただきます。クリスマスソングなどをジャズ風にアレンジしたライブと私の聖書のお話の2本立てのイベントになりますので、沖縄に在住の方で興味のある方はお越しください。
■ クリスマスライブ&トーク(詳しくはこちら)
トークテーマ:旧約預言とキリストの誕生
日時:2022年12月24日(土)午後3時半〜
会場:ライフセンタービブロス堂
〒900−0002 沖縄県那覇市曙3丁目6−24
電話:098・868・4406
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