2022年もあっという間に過ぎ去り、そろそろクリスマスの季節が巡ってきますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は専属の教職ではありませんので、教会で奉仕をさせていただきつつ、生活のために映像を制作するなりわいを沖縄で営んでいます。コロナ禍になってから始めた事業ですので不慣れなことも多く、その関係もあり、なかなか記事を寄稿させていただくことが少なくなっています。
それでも、このクリスマスの季節には少しでもキリストの誕生の意味を伝えられればと思い、小さなイベントを妻と一緒に沖縄の那覇市で企画しています。そのために準備しているメッセージがありますので、こちらでもシェアさせていただければと思います。
さて、近年の私たちの社会は、かつてないほどの変化の中にいます。例えば、今の私たちの仕事は9割以上、100年前には存在しなかったものです。そして10年後にはなくなるかもしれません。また、メタバース、AI、仮想通貨、Web3.0、NFT、DAO、ロボティクス、EV、自動運転などなどの関連本が書店に並んでいます。ですから、このような流れに乗っていかなければ時代に取り残されると、不安を抱えている方もいると思います。
しかし考えてみますと、実は一昔前に書店ではやっていた本の大部分は、今は廃れていて書店から姿を消し、誰の目にも止まらなくなっています。そして同様のことが、今流行している事柄にも起こる蓋然(がいぜん)性が高いといえます。村上春樹さんの代表作である『ノルウェイの森』という作品に、以下のような箇所があります。
永沢という男はくわしく知るようになればなるほど奇妙な男だった。僕は人生の過程で数多くの奇妙な人間と出会い、知り合い、すれちがってきたが、彼くらい奇妙な人間にはまだお目にかかったことはない。彼は僕なんかはるかに及ばないくらいの読書家だったが、死後三十年を経ていない作家の本は原則として手にとろうとしなかった。そういう本しか俺は信用しない、と彼は言った。
「現代文学を信用しないというわけじゃないよ。ただ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費したくないんだ。人生は短かい」
どうでしょうか、私たちの周りには毎日、洪水のように新しい知識が氾濫していますが、本当に大切なことに気付けないでいるとしたら、それは「時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄」にしているからかもしれません。
村上春樹さんの小説に登場する永沢さんは、最低死後30年たっても読み続けられている本というのを一つの基準としていますが、その基準を悠々と超える古い本というのもたくさんあります。いわゆる「古典」といわれるものです。
例えば哲学の世界では、インマヌエル・カントという方がいますが、1724年生まれです。『純粋理性批判』というタイトルからして難解そうな著作が有名です。その後には、ヘーゲルという方が続きます。1770年生まれ、日本でいえば江戸時代です。これらの方々の本は、時代の流行とは無関係に、私たちが生まれる前から読まれてきたもので、曾孫の世代でも読み継がれるでしょう。
彼らの時代から千年ほどさかのぼりますと、日本にも古い本があります。例えば、日本書紀は720(養老4)年、古事記は712(和銅5)年に編さんされたといわれています。少し古事記の冒頭部分を引用してみましょう。
天地(あめつち)初めて発(ひらけし)時、高天原(たかまのはら)に成れる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)。次に神御産巣日神(かみむすひのかみ)。此(こ)の三柱(みはしら)の神は、並(みな)独神(ひとりがみ)と成り座(ま)して、身を隠したまひき。
古事記の冒頭には、三柱の神が出てきます。中でも最初に登場する天之御中主神とは「天の中におられる神」という意味ですから、キリスト教でいうところの「天の神様」という概念と非常に近いものがあります。
例えば韓国のキリスト教においては、神様のことを「ハナニム」と呼びます。これは「ハナ(一)なるお方」つまり「唯一神」という意味です。ところが同じ韓国でも、カトリックでは「ハヌニム」と呼びます。一文字しか違いませんが、意味としては大きく異なります。「ハヌニム」というのは「ハヌル(天)ニム(様)」すなわち「天の神様」という意味です。これは昔、お付き合いをしていたカトリックの韓国人女性から聞いた内容です。
古事記においては、上記の三柱の神は造化三神と呼ばれ、万物生成化育の根元神とされています。キリスト教においても、世界の創造は父、子、聖霊の三位なる神の働きとされていますから、ここにも不思議な共通点があります。聖書の創世記と比べてみましょう。今回は、文語訳聖書を引用してみます。
元始(はじめ)に神 天地を創造(つくり)たまへり 地は定形(かたち)なく曠空(むなし)くして黑暗淵(やみわだ)の面(おもて)にあり 神の靈 水の面を覆(おほひ)たりき 神光あれと言(いひ)たまひければ光ありき(創世記1:1〜3)
最初に天地を造られた神が登場します。そして「神の靈 水の面を覆たりき」とあるように、霊なる神の様子が描かれています。そしてまた「神光あれと言たまひければ光ありき」とあるように「言葉なる神」の片りんをわずかに読み解くことができます。
さて、聖書はいつ書かれたものでしょうか。新約聖書はキリストの弟子たちによって書かれたものですから、2千年ほど前に書かれたことになります。旧約聖書はさらにその前からあり、古典中の古典ということができます。そして、古いだけでなく、現代に至るまで、ものすごい数が発行されています。諸説ありますが、50億冊以上発行されていて、それらを重ねると月まで行けてしまうともいわれます。
最近では、池上彰氏も『聖書がわかれば世界が見える』という著作を出版しました。その中で氏は、聖書を知ることは世界に通用する教養を身に付けることであり、世界を理解することにもつながると述べています。
冒頭でも述べましたが、変化の激しい時代にあって、はやりの本を追いかけるというのもビジネスパーソンには必要なことかもしれませんが、時には流行に左右されない「古典」を読むことも、普遍的で本質的な事柄を理解するためには必要なこととなります。
とりわけ、悠久の「時の洗礼」を受けたという意味においても、文化や民族の壁を越えて世界中で読まれているということにおいても稀有な存在である、古典中の古典である聖書を知ることは、とても意味のあることです。また今回少し書かせていただいたように、異なる古典間の共通点について研究することも意義のあることです。
クリスマスのメッセージと言いながら、今回はその前々段階の内容となりましたが、聖書の価値が分かりますと、その聖書の中に書かれている預言の意味についても関心を持っていただけるようになるかと思います。次回は、聖書の膨大な内容の中でも、キリストの誕生についての旧約の預言とその意味を一緒に考えていきたいと思います。
さて、冒頭でも触れましたが、那覇市のライフセンタービブロス堂さんにて、クリスマスのイベントをさせていただきます。クリスマスソングなどをジャズ風にアレンジしたライブと私の聖書のお話の2本立てのイベントになりますので、沖縄に在住の方で興味のある方はお越しください。
■ クリスマスライブ&トーク(詳しくはこちら)
トークテーマ:旧約預言とキリストの誕生
日時:2022年11月26日(土)午後1時〜
会場:ライフセンタービブロス堂
〒900−0002 沖縄県那覇市曙3丁目6−24
電話:098・868・4406
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