認知症を患う高齢者の増加に伴い、数多くの福祉サービスが展開されるようになりました。大変ありがたいことですが、核家族化の一段と進んだ現代社会ではむしろ、高齢者のそばに寄り添い、直接支える家族や隣人の在り方が問われているように思います。
高齢の両親との距離を縮める歩み
現代社会では、親と同居する人は少なくなりました。親にとっても、できるだけ自立して生活したいと考える人が多く、高齢者の独居や夫婦のみの世帯が増えています。しかし、誰であっても高齢になれば、身体的な衰えは激しく、さらに認知症を患うようになると、常にそばにいる家族や隣人の存在が大切になってくると思います。
もちろん、いったん親元を離れた子ども世代が親元に戻るのは、簡単ではありません。それぞれが固有の事情を抱えていますから、若い世代がそれらを乗り越え、高齢者を支える手立てを、真剣に講じていくことが求められます。
私ごとですが、今から15年ほど前、両親が80歳を過ぎたころから、関西に住む彼らを定期的に訪ね、その数年後には、将来に備え、私自身が前職を早期退職し、近くに転居することを決めました。
転居後しばらくは、度々訪問する程度でしたが、父が次第に認知症を患い、介護する母の負担が増したため、家事を手伝うようになりました。介護付きの施設に移る選択もありましたが、両親の希望に沿って、介護サービスを使いながら現状の生活を支える道を選びました。
寄り添う時間が増える中、今から2年ほど前、母が急に体調を崩して召され、認知症の進んだ父が残されるという大きな出来事がありました。父は既に一人で生活できない状況でしたので、長男の私が、父と一緒に過ごすようになりました。疎遠であった両親との距離を少しずつ縮めてきましたが、実に約半世紀ぶりに、父と同居することになったのです。
家事や介護の経験に乏しい私でしたが、家族の助けや介護サービスに支えられ、何とか今日まで無事に過ごすことができ、父は98歳になりました。いまだに試行錯誤が続いていますが、認知症の父に寄り添った2年を通し、学んだことを以下にまとめます。
認知症の父に寄り添って
高齢化による身体能力の低下と認知症は、通常、同時に進行するため、状況に合わせた柔軟な寄り添い方が求められます。その際、そばで寄り添う人の役割は大きく3つあると思います。
① 転倒などの事故を防止する
高齢者の転倒は、容易に骨折などに至り、命の危険につながります。認知症の進行により、危険に対する予知能力が低下し、無理な動作を行うようになりますので注意が必要です。高齢者の状況や生活環境に合わせ、常に寄り添って安全を確保することが求められます。特に、事故が起こりやすい夜間には、介助者が迅速に寄り添える工夫が必要です。さまざまな介護用具を見極め、適切に使うことは介護の質を向上させます。
② 安心感(充足感)を与える環境を整える
高齢者が最期まで幸せな生活を送れるように、いつも穏やかな生活環境を整えたいものです。認知症の進行により、不安や混乱が生じやすいため、それらを解消する手段を日頃から学んでおくことが大切です。さらに、温かい人間関係が持続できるよう、日常的な会話、デイサービスなどの利用、家族・親族との継続的な交流の場を確保することが大切です。
③ 共に神様に心を向ける時を持つ
人はどのような状況にあっても霊的な充足を求めています。認知症の進行に合わせ、介助者が高齢者と共に、神様に心を向ける時間を持つことが大切です。単調な生活の中にも、願い、感謝、賛美、希望など、祈りたいことはたくさんありますので、それらを介助者が具体的に言葉にして、共に祈る習慣を持つことが有効です。特に、新しい朝への感謝は、高齢者にとって希望を与え、生活のリズムを保つ力になります。
神様の愛が父を支える
これらのことに注意を向け、終わりの見えない高齢者の介護を続けることは、簡単なことではありません。認知症が進行するにつれ、介助者への負担はさらに増大します。私自身も、夜間の介護に疲れ果て、眠りについた父の傍らに座り込むことも度々です。
そのようなとき、不思議なことですが、父の生涯を導く神様が、弱さの中にある父をこよなく愛していることを知ることができます。寄り添っているのは私ではなく、実は、神様ご自身なのでしょう。
幼児を育てる母親には、将来、立派に成長して活躍するわが子の姿を思い描かせ、育児の力が備えられますが、認知症の父(高齢者)に寄り添う私には、将来、天の御国で、胸を張って神様と過ごす父の姿を垣間見させてくださっています。
不安は常に存在しますが、父に寄り添う価値ある時間を、今後も感謝して過ごしていきたいと思います。
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