そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5:3〜5)
暑い夏がやってくると、小学生の夏休みの頃を思い出すことがあります。鹿児島の田舎に住んでいた私は、真っ黒になって野山を駆け回り、川や海で遊んでいました。遊ぶことが楽し過ぎて宿題には全く手を付けず、新学期が始まる直前に日記をまとめて書くというどうしようもない生徒でした。
外を走り回っていますとお腹が空きますが、畑のキュウリやトマトをちぎって食べていました。近所に駄菓子屋さんなどありませんでしたが、とても自然に恵まれた環境だったと思います。とても裕福とは言えない状況でしたが、やがて大人になれば良い方向へ向かうという漠然とした安心感みたいなものを持っていたと思います。心の中にしっかり残っている故郷があることは、感謝なことです。
先日、商工会議所主催の講演会で経済学者の話を聞いて考えさせられたことがあります。米国では、経済的格差が拡大していわゆる中間層が没落し、民主主義が機能不全に陥りつつあるというのです。米国のCEOの報酬について行われた調査によると、平均で1720万ドル、日本円で約22億円というのです。平均的社員の278倍です。
1965年ごろまでは、CEOの報酬はこんなには高くなく、せいぜい平均的社員の20倍ぐらいに過ぎなかったというのです。グローバル化に伴って、社会や企業が変革していったのです。CEOの報酬が高すぎるのは、現場で働く人々への還元がうまくいっていないからではないか、本来なら政府に払うべき税金が払われていないのではないかなど、下衆の勘繰りをしたくなります。エリート層になるほど、国家への愛着が薄れるといわれています。
グローバル化というと、一見とてもいいことのように捉えられがちですが、国際化とは似て非なるものだといわれます。国境をなくし、関税を撤廃し、人、物、金、サービスの動きをより自由化し、活性化させることをうたっているわけです。
しかし、グローバル企業は本社の住所を、課税されないケイマン諸島などに置き、税金逃れを図っています。そして政府に対し、会社を海外に移転させるということを脅迫材料にして、法人税を下げさせるようにしています。その法人税の穴埋めを消費税で行うように勧告しているわけです。
安全とか利便性の面では国家を利用し、必要な税金は払わないでおこうという魂胆です。そしてそのしわ寄せは、一般庶民に行くようにしていますので、とんでもないことです。
米国では不法移民が流入し、国境に近い所ほど社会的混乱が続いています。欧州でも中東やアフリカからの大量の移民が押し寄せ、社会秩序が破壊され、犯罪も多発し、街の美観も損なわれ、惨憺(さんたん)たるありさまだといわれます。移民たちは本当に自主的にやってきているのか、それとも国境の垣根を低くしたいグローバル企業が背後に絡んでいるのではないかと疑いたくなります。
最近はグローバル化だけでなく、行き過ぎた環境政策も目に余るものがあります。オランダでは、政府が二酸化炭素と窒素排出を削減するために家畜を半減し、耕地面積を減らす法案を準備しているということで、農民がデモ活動をしています。農家の生活も困りますが、食料危機が叫ばれる昨今、何を考えているのだろうかと思ってしまいます。
化石燃料削減に走り過ぎた欧州では、思ったように風が吹かず、風力発電が動かなくなり、電力不足のため、酷暑の中、熱中症の被害が続出しています。また、今年の冬は暖房の心配が起きるのではないかといわれています。
また、環境問題だけでなく、ジェンダーフリーを強調するあまり、陸上競技で男女の区別が曖昧になったり、女性トイレを男性が使ったりする社会的混乱が起きています。また、女性を解放するために子どもを産まない運動をしているグループもあります。また、一部の左翼グループは、人口削減計画なるものを推し進めようとしています。結局は社会混乱を引き起こし、国家破壊に動いているようにしか思えません。
グローバル企業に振り回され、環境左翼と呼ばれる極端な政策に踊らされるのではなく、聖書の基準に立ち返ることが必要なのではないかと思います。このままでは、若者の希望を奪ってしまう社会になっていくのではないかと危惧しています。持続可能な環境づくりの問題が取り上げられていますけれども、一時しのぎではなく、持続する希望が必要です。
神様が男と女を造られ、それぞれの役割を定められました。また「生めよ、増えよ、地に満ちよ」(創世記1:28)と命じられました。この地球も資源も、すべて神様が人類に委ねられたものです。この地球環境を破壊しないように、大切に守っていかなければなりませんが、急激な改革ではなく、穏やかな変革によって命を守る生き方をしていかなければなりません。
社会の安定を取り戻すために、国家観の在り方や社会構造について、歴史を振り返って考えていく時期ではないかと思います。私は明治のクリスチャンたちに学ぶことは多いと思います。内村鑑三は「私は2つのJを愛する」と言っています。ジーザスとジャパンです。
新渡戸稲造は、クリスチャンですけれども武士道を説いています。彼が英文で記した武士道は、海外の多くの人々に感銘を与えています。セオドア・ルーズベルト大統領は30冊買い、側近たちに配ったといわれています。ルーズベルト大統領の心に届くものがあったから、日露戦争の仲介役を申し出たといっても過言ではないと思います。
自分たちの文化を大切にし、祖国を愛し、その上で国際化を受け入れていく姿勢が必要なのではないかと思います。先駆者たちの生き方に学び、日本の文化にしっかりと根を張り、キリストの福音を受け止めていくことが、わが国の希望につながっていくのではないでしょうか。
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ29:11)
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