目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。(イザヤ40:26)
健康診断の時、あるドクターに言われたことがとても心に残りました。「体の状態を見るときは、ある特定の臓器だけに気を取られていてはいけないのです。人間の体は口から肛門まで一本の管でつながっているのです。だから調べるのだったら管の全てを見る必要があります」と提言されました。世の中の現象のこと、歴史上のこともその一点だけを見ていても分からないことがあります。全体的な流れの中で物事を見るようにすると理解できることが多々あります。
安部元総理襲撃事件が起きたとき、何か米国のケネディ大統領暗殺事件に匹敵するような闇の部分を感じたのは私だけだったのでしょうか。日本は平和で安全な国だと思っていましたので、日中堂々と銃で政治家が暗殺されるような事態が起こるとは想像もしていませんでした。
演説をしている政治家の背後に、警備の人が誰もいなかったという失態であったにもかかわらず、犯人が元自衛官だったとか、20年前に母親に起きたことへの恨みだったとか、自民党と旧統一協会のつながりとか、宗教たたきとか、とんでもない方向にメディアの関心が向いてしまっています。どんな理由があれ、法治国家では暗殺は許されないことですし、ましてや自業自得などという発言が飛び出してくるのはおかしいのです。
安部氏は第1次安倍政権の時に、戦後レジームからの脱却を打ち出し、中国脅威論、インド太平洋構想などを唱えていました。ストレスによる病気のために短命内閣になりましたが、第2次安倍内閣では世界的な視野で動き始め、G7の場で中国脅威論を取り上げました。それまでは世界の首脳が、中国は経済が成長してくれば民主化されるだろうという楽観論を持っていましたが、中国脅威論に傾き始め、中国包囲網が出てきたといわれます。トランプ政権が誕生するときはいち早く大統領就任前のトランプさんに会いに行き、中国脅威論を訴えたといわれます。
安部元総理のおかげで米国だけでなく、欧州各国首脳も中国に警戒するようになり、貿易や一帯一路構想にもかなりブレーキがかかったといわれます。また、インド太平洋構想を推し進めて、アジア版NATOの一歩となるクアッドまで立ち上げましたので、中国からすれば目の上のたんこぶ的な迷惑な存在だったのではないかと思います。
欧米の首脳と伍(ご)していくどころか、むしろリードする存在であっただけに、インドやブラジルの首脳も好感を持ち、敬意を払っていました。そして外国の地で起こったことなのに半旗を掲げ、喪に服したのです。さらに米国の上院では、70人の議員が安部氏の功績を称える法案を提出し、全会一致で決議しました。
外国では高く評価されるのに、国内で賛否が分かれ、酷評される政治家は珍しいと思います。安部元総理がG7で中国脅威論を訴えた頃から風当たりが強くなり、国内ではモリ・カケ・サクラ論争に振り回され、新しい政策が打ち出せず、かなりのストレスになっていたといわれます。功罪いろいろあり、評価も分かれるかもしれませんが、世界的に活躍できる日本の政治家がこれからも出てくることを願っています。
目を上げて、近視眼的ではなく広い視野から見なければいけないのは、日本の宗教的な背景ではないかと思います。日本という異種の樹木に、新種を無理やり植え付けようとしているのがキリスト教の伝道だと誤解している人がいます。
日本はもともと縄文時代から、渡来人に対しては寛容であり、むしろ歓迎する風潮がありました。それは島国という特性から外部との交流が少なく、近親結婚になってしまうことが多かったからではないかと思います。遠くの地からやってきた渡来人との結婚を進めることで、遺伝子的にも好都合でした。この傾向は、奈良時代や平安時代まで続きます。
遺伝子的に見るなら、日本人は世界中のあらゆる民族の影響を受けているといわれます。木片に記された資料から、奈良時代にペルシャ人も官位についていたことが考古学的に証明されています。ユダヤ人の埴輪(はにわ)が存在することから、多数のユダヤ人が来ていたことは間違いないと考えます。その中でも、日本書紀に登場する、ユダヤ系との説もある秦氏の存在は大きいようです。北王国イスラエルが亡びたとき、10部族が日本にやってきて大和朝廷の樹立に貢献していたことが推測されますが、考古学者の検証によって明らかにされる時が来ると思います。
神道が今日のような形になっているのは、かなり古代ユダヤ人の影響が大きいと考えます。神道はもともと自然崇拝的なものだったのですが、渡来人の影響を受けて社をつくり、祝詞をささげるようになりました。神道の専門家に聞いたところ、祝詞はほとんどが神様を褒めたたえる内容だそうです。そして本来、アメノミナカヌシノカミを信じる一神教だといわれます。北王国イスラエルが一神教のはずなのに、偶像があり、女神信仰も入り込んでいたといわれますから、その子孫が日本にやってきたとき、そのまま持ち込んだと思われても仕方ないのかもしれません。そして、ここに古代キリスト教の要素がプラスされていくわけです。仏教も、中国で東方キリスト教の流れを持つ景教に触れてから日本にもたらされますので、神仏融合になるのは当然かもしれません。
古代ユダヤ人が神社を建てるとき、布教は念頭になかったと考えます。自分たちが安全を保障され、祈りに専念できる聖域として捉えていたのではないでしょうか。だから神社の境内は、誰が訪れても心の落ち着く場所であり、自分の祈りの場として捉えても、違和感はあまりありません。
原始キリスト教は違和感なく日本に溶け込んだと見ることができます。一方で、大航海時代に植民地主義を掲げる西欧列強に付随してやってきたキリスト教には、拒否反応が起こりました。大胆に聖書の言葉を語っていくならば、必ずや日本民族に到達していくことと思います。歴史の流れの中で俯瞰(ふかん)すれば、キリストの福音が根付く要素はあります。
あなたがたは、「刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある」と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。(ヨハネ4:35)
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