「わたしはほんのしばらくの間、あなたを見捨てたが、大きなあわれみをもって、あなたを集める。怒りがあふれて、ほんのしばらく、わたしの顔をあなたから隠したが、永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ」とあなたを贖(あがな)う主は仰せられる。(イザヤ54:7、8)
ロシアのウクライナへの侵攻が報道される度に、ジェノサイド(民族浄化)という言葉が飛び込んできます。ロシア兵の残虐行為やウクライナ市民の悲惨な状況が報じられると、目を覆いたくなります。隣国の民を滅ぼし、自分たちの領土を広げるという野蛮な行為が、この21世紀でも平然と行われていることに驚愕(きょうがく)します。
中国はチベットやウイグル、またモンゴルに対してジェノサイドを行っているといわれます。特にウイグル民族に対しては、宗教弾圧、奴隷化就労による搾取、不妊化手術、臓器売買など、目を覆いたくなる惨状が今も続いているといわれます。
世界の歴史の中で、最もジェノサイドの犠牲となったのはユダヤ人ではないでしょうか。第2次世界大戦中にナチスによってガス室で殺されたユダヤ人は600万人です。大人が450万人、子どもが150万人です。エルサレムのホロコースト記念館に行くと、ローソクの灯された部屋で殺された子どもたちの名前が毎日、読み上げられていますが、涙を禁じ得ないとても悲しい一角です。イスラエルは第2次世界大戦後、自分たちの祖国を建国し、世界各地に離散しているユダヤ人たちの移住を積極的に受け入れてきましたが、それでも戦後50年たっても人口は600万人を超えることはできませんでした。
実は、ユダヤ人救出に日本人は大きな貢献をしています。リトアニアに滞在していた外交官の杉原千畝は、領事館を閉鎖しなければならないという切羽詰まった状況の中、一つの家族に対して1枚の手書きのビザということで、合計2139枚のビザを発行し、6千人の命が救われました。後に命のビザと呼ばれました。しかもこの行為を日本政府は黙認していました。
杉原千畝が命のビザを発行する2年前に、ソ連領オトポールに取り残され、行き場を失い凍死寸前だった2万人のユダヤ人を救出したのは、陸軍中将の樋口季一郎でした。満州に受け入れ、手厚く保護しました。
多くのユダヤ人が欧州から満州を経て、舞鶴に船で到着し、神戸に向かいました。神戸で船を待っている間、滞在に協力したのが神戸のクリスチャンたちでした。
日本人とユダヤ人の関わりは偶然ではなく、必然だと思います。歴史上、ユダヤ人は何度もジェノサイドに直面しています。ユダヤ人の父祖アブラハムもシュメールのウルを追われ、父テラと共にハランに移っています。この時、シュメールから西に逃れたグループと東に逃れたグループがあったといわれます。東のグループは海上ルートで行き、最終的には東の果ての日本に着いたといわれます。これは海岸近くに多く残されている岩文字(シュメール文字)から推測されることです。神道の祝詞の中に、スメラ御国という表現がありますが、私はシュメールの国を意味すると考えています。
神の召命を受けたアブラハムが約束の地を目指すことで、イスラエルの建国が始まります。最初の大きな試練は、北王国イスラエルのアッシリア捕囚、2度目は南王国ユダのバビロニア捕囚です。この二度の捕囚の時も、一部のユダヤ人は東の国を目指して逃亡しています。そして日本に到着し、先人の皇(スメラ)人と合流したと想像します。三度目の試練がローマ帝国との争いです。この時はマサダ砦に立てこもり、徹底的に抵抗します。この時のローマ軍の怒りはすさまじく、エルサレムの城壁から街の建物まで、すべての石を地中海に投げ捨てさせます。戦勝記念として残したのが、嘆きの壁と呼ばれる部分です。そして石切り場から石を切り出し、元通りの城壁を再現します。
ローマ兵はどこまでもユダヤ人を追い、殲滅(せんめつ)しようと試みました。当時の世界で、ローマ帝国ほど強大な国家はありませんでした。ローマから逃れる手段は世界のどこにもないと当時の人々が思っても、決して不思議ではありません。ユダヤ人は人目を忍んでひっそりと生きるしか方法はありませんでした。そのような状況下で、先人たちから伝え聞いた東の果ての国を目指すのは、当たり前といえるかもしれません。
しかし、東の果ての地にたどり着いても、ローマの恐怖から逃れることはできなかったのではないかと私は推測します。古代ユダヤ教徒たちや原始キリスト教徒たちは、自分たちの信仰は守りつつも、外から見たらそうとは分からないように形を変えたのではないかと思うのは行き過ぎでしょうか。
日本は隠れキリスト教国と呼ばれることがあります。クリスチャンの比率は小さいのに、キリスト教精神が生かされているとか、人々が親切で、財布を落としても返ってきたなどという話をよく聞きます。フランシスコ・ザビエルが初めて日本で宣教したとき、福音を受け入れる素地が人々にできていることに驚いたといわれています。
イザナミとイザナギは淡路島に漂着したユダヤ人で間違いないと私は考えています。古事記に記されている、柱の周りを回っての求婚は、古代ユダヤの結婚式です。天の岩戸はキリストが埋葬された岩のお墓です。日本の三大山稜は、エルサレムの古代墓地とそっくりです。天地の造り主がアメノミナカヌシノカミで、三位一体の神が三柱の神となっていると思えば納得がいきます。古代ユダヤ人は各地に神社仏閣を建立し、そこを自分たちの礼拝の拠点にしていたと思うのは行き過ぎでしょうか。
日本に受け入れられた仏教も、インドでキリスト教の影響を受けています。さらに、日本仏教の根幹をなしている空海も最澄も、中国の長安で景教の教えを受けています。私は、空海が修業したといわれる中国のお寺を訪ねたことがありますが、景教の寺院はすぐ近くにありました。
東日本大震災復興を支援するために、11年前に鹿児島で宗教者懇和会が立ち上げられました。私はこの懇和会のおかげで、和尚さんや宮司さんと交流を深めていますが、何も違和感なく、むしろ居心地の良さを感じながら、平和のために活動を共にしています。明治の初めに隠れキリシタンが表に出てきたように、やがて隠れキリスト教国が明るみに出て、隠されていた意味が示され、新たな使命に向かう日が来るのではないかと思うのは、私だけでしょうか。
私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。(1コリント2:7)
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