教会の成長拡大に貢献する「人財」育成を目指す超教派の神学校「ワーシップ!ジャパン宣教人財育成学院」(佐藤祐明学長)が主催する年に1度のカンファレンスが6月11日、神の家族主イエス・キリスト教会(東京都足立区)で開催された。今年は「クリスチャンの意識改革」をテーマに、世界規模の福音伝道ムーブメント「EE(Evangelism Explosion)」の日本代表を務める山中知義牧師(京都インターナショナルチャーチ)と、国内外で伝道活動を展開する万代栄嗣牧師(松山福音センター)を講師に迎え、牧師座談会も行われた。
個人伝道が重要な3つの理由
午前の集会で講演した山中牧師は、1960年代に米国の長老派教会から生まれた個人伝道の訓練カリキュラム「EE」について説明しながら、個人伝道の重要性を強調。個人伝道は、キリストの兵士(2テモテ2:3)が行う基礎訓練として「御言葉の訓練、祈りの訓練と同じくらい大事」と語り、その理由を説明した。
第一の理由は、「イエス様が命じていらっしゃるから」。山中牧師は、新約聖書に300ほどあるイエスが語った命令のうち、最初の命令が「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マルコ1:17)で、最後の命令も「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28:18〜20)という宣教に関する命令だったことを指摘。他の命令はすべて、この2つの命令に関連しており、宣教の実を結ぶために語られていると説いた。
第二の理由は、「(個人伝道が)私たちの大きな力になるから」。目の前で人が永遠の滅びから永遠の命に移される救いの現場に立ち会える以上の喜びは「どこにもない」と山中牧師。「その喜びを味わったら、その人は、その喜びを知らない人たちには想像もできないような喜びの力を持つようになり、それをさらに追い求めるようになる」と語った。
第三の理由は、「皆さんが偽善者にならないため」。山中牧師は、聖書を神の言葉と信じる人が福音主義者ではなく、「福音を伝えることを生き方にしている人、人生をかけて福音伝道に生きる人」が福音主義者だと強調した。その上で、自分の生き方に矛盾を感じ、心に葛藤を覚えるなら「皆さんには希望があり、成長する余地があります」と励まし、「まずは1匹の羊(1人の魂の救い)に献身してください」と呼びかけた。
山中牧師は、伝道で最も小さな単位である個人伝道に忠実ならば、他の形の伝道にも用いられるようになると語り、「神様は皆さんを招いていらっしゃいます。キリスト・イエスの立派な兵士として、私をどうか用いてくださいと祈っていただきたい。そのように心から祈る者を、神様は絶対に祝福してくださいます」と力を込めた。
国内宣教の拡大で必要なこと
午後の座談会では、山中牧師と万代牧師が登壇し、宣教に関するさまざまな課題について語り合った。国内宣教を拡大するために必要なことについて聞かれた万代牧師は、「日本人は牧師も信徒も静かで、クリスチャンに元気がない」と指摘。「単なる方法論ではなくて、クリスチャンが集まれば、何かワクワク感があり、普通の人たちよりもエネルギーがあり、喜びや楽しさがあってほしい。皆さんのいる場所が明るく楽しくなる。そういうクリスチャンの集まりが誕生してくるといい」と話した。
また、「誰でも(宣教の)火付け役になれる」と指摘。「自分1人が救われるだけで精いっぱいの信仰生活ではなくて、自分が恵まれていることでみんなを助けようというぐらいに一段階信仰のレベルを上げられる感覚を持つクリスチャンが増えるといい」と語った。
地域宣教に必要なことについては、「やっぱり人とのつながり」と万代牧師。地域のコミュニティーが崩壊しつつある中で、教会が公民館的な役割を担うことや、民生委員の働きを教会が助けることなどを提言し、「教会ができる普通の奉仕や交わりが、いま世の中で求められている」と話した。
山中牧師は、同志社大学など京都にあるミッション系の学校が存在感を持ち、地域に良い影響を与えていることを紹介。京都のような古い歴史を持つ地域では特に、福音にあまり興味を示さないような人に対しても、友好的にありのままを尊重し、愛していく姿勢を育て、教会が地域に存在感を示していくことも大切だと語った。
「限界を越える恵みにチャレンジしよう」
最後の集会で講演した万代牧師は、「クリスチャンであるあなたの信仰が、どんな質、どんな内容か、もう一度本気で考えてほしい」と問いかけた。自分1人がやっと救われて終わりという信仰ではなく、「クリスチャンである私たちは主によって強められ、勝利者として力強く世の中を変えていける姿を持っている」と強調。山をも動かす信仰を説いたマルコによる福音書11章22節から25節を引用し、「イエス・キリストと出会ったならば、そこに『神を信じる』という新しい選択肢ができる」と力を込めた。
「神を信じる」とは何か。万代牧師は、単なる理解や納得ではなく「神のご計画に人生の重心を移す」ことだと指摘。「(神を信じることが)私たちを生かし、この時代の変化を越えて、私たちの人生に輝きを与える。神が共におられるからこんな人生になったという恵みの人生を歩もう」と呼びかけた。
また、「自分の枠や限界を越える恵みにチャレンジしよう」と強調。ヘブライ人への手紙11章1節を引用し、「信仰は一歩先取りして、現実が起こる前にそれを確信し、手にするもの。まだ手に入らなくても、私たちは夢を持って、それに手を伸ばして祝福される。先取りの信仰をもう一度自分の中で働かせましょう」と呼びかけた。
そのような力強い信仰を持って歩むとき、「私たちの内側も御霊によってどんどん整えられ、御霊の実を結び、神様に喜ばれる者へと変えられていく」と万代牧師。「消極的に減点法で、これはだめ、あれはできない、と小さな盆栽みたいにきれいにまとまるクリスチャンを目指すのではなく、神から与えられた可能性でぐんぐん成長し、自分の足りないところをそのたびにイエス様によって整えられながら、大きな実を実らせる木になろう」と訴えた。
「教会に行きながら(神を)信じない生き方もできる。でも、信じたい。神の命の可能性に私たちの重心を置いて、山に向かって動いて海に入れと言えるほどのチャレンジをしようではありませんか。ただ自分がやっと救われるだけの1人分の信仰で終わるのか。それとも、主のしもべとして、人々の救いのために用いられるのか。それはあなたの決断にかかっている」
最後に万代牧師がそう言い、会場に呼びかけると、多くの参加者が講壇の前に進み出て献身の思いを表明し、共に祈りをささげた。