有名な、ホトトギスに関する3首。信長は「殺してしまえ」。秀吉は「鳴かせてみよう」。家康は「鳴くまで待とう」。皆さんは、どのタイプですか。皆さんは、どれが良いと思いますか。
正しいのは「殺す」なのか、「鳴かせる」なのか、「待つ」なのか。私は、第4の道だと聖書全体から判断しています。つまり、「他のにいこうホトトギス」です。
なぜ、そうなるか。ホトトギスを「福音」にしてみます。福音をどんなに語っても信じてくれない、聞こうとしてくれない人、いますよね。そんなとき、どうするか。その人・・・つまり、福音を語っても信じようとしてくれない人を、「殺す」? そうしたら、あなたが逮捕されるだけです。
じゃあ、「鳴かせる」? つまり、信じさせようと努力する。あの手この手で・・・。でも、これも神様の御心じゃありません。信じさせようと必死になると、福音を曲げてしまう、また、聖書の内容を真っすぐ語らずに妥協してしまう恐れがあります。これは一番悪い手です。
そして、「待つ」?「もう、信じます!」「あんた、しつこ過ぎ!信じてやるよ!」と相手が言うまで待ち続ける・・・。これも、聖書全体から判断すると、神様があなたに与えてくださった時間を無駄にし、有効利用していないことになります(新約聖書・エペソ5:16参照)。
ですので、先ほども言ったように「鳴かぬなら他のにいこうホトトギス」が、聖書の教える道だと信じます。つまりは、「信じないなら、次の人のところに行こう、福音宣教」です。聖書を学ぶと、イエス・キリスト様もそうされました。新約聖書・ルカの福音書9:1~6です。
不信仰な人々は、イエス様につまずきました。ですので、主は近くの村々への宣教にシフトチェンジしています。また、使徒パウロもそうです。神様の言葉を拒み、信じようとしなかったユダヤ人たちに対して、強く宣言しています(新約聖書・使徒の働き13:46)。
私たちは、イエス様から福音宣教の命令を受けています。でも、信じてくれないからといって「待つ」、特に「信じさせようと努力する」必要はありません。他にも、福音を求めている人がいるのです。
どこかに、あなたの伝道を待っている人がいるかもしれません。あなたの知らないところで、神様を求めている方がいるかも。そういう人に出会わせてくださるよう、導いてくださるように、神様にお祈りしましょう。主は必ず、あなたを最善な場所、最善な人のもとへと導いてくださいます。ハレルヤ!
「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」(新約聖書・マルコ16:15)
*
夜の世界に堕ちていた20代女性が、家族の熱い祈りによって光の方へと向きを変えていくヒューマンドラマ小説『追う者』。現在、大好評連載中!!
◇