この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。(マタイ24:35、36)
少し大げさな表現に聞こえるかもしれませんが、地球史上の三大変革を挙げるとすれば、ノアの洪水、キリストの十字架、終末の事象だと思います。ノアの洪水は大雨が降って洪水になったという出来事だけではありませんでした。
ノアの洪水前と洪水後の地球の様子はまったく異なります。地球の表面は水蒸気の層に包まれ、地球全体が温暖な気候でした。地下には豊富な水の層があり、雨が降らなくても「ただ、水が地から湧き出て、土地の全面を潤していた」(創世記2:6)という理想的な状態でした。
その当時の地上は水蒸気の層によって宇宙線などの外部からの妨害を完全に遮断し、酸素濃度も今日の倍以上だったといわれています。当時の世界には、今では信じられないような超巨木があり、動物も巨大化することもあったようで、化石となって発掘されることがあります。
創世記の中でなかなか信じられないことの一つに、登場人物の年齢があります。アダムは930歳で亡くなり、セツは912歳、レメクは777歳、ノアは950歳で亡くなっています。それだけではなく500歳のときに息子、娘が与えられたという記述もあります。ただ単に長生きしていただけでなく、とても若々しい状態で人生を全うしているのです。
私は学生時代に聖書を読んでいたとき、この箇所を飛ばして読んで見なかったことにして、一人の寿命ではなく、部族としての年数ではないかと勝手に解釈していました。
もし900年も生きるとすれば、いろいろな弊害も出てきたのではないかと想像できます。権力の集中を図る者が出てくるでしょうし、今日では想像できないような科学技術も生み出されたのではないかと思います。一部の考古学者の中には、超古代文明があったのではと推測する人もいます。
だから神様は「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしょう」(創世記6:3)と仰せられたのです。
この創世記が編さんされたのはモーセの時代といわれています。モーセは120歳で亡くなっています。今日の社会の寿命に近づいています。もし900年という数字が間違いであれば、何らかの注釈か訂正が入れられたはずだと思います。
ノアの洪水のときは、地球を包んでいた水蒸気の層が地上になだれ込みます。「巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた」(創世記7:11)とあります。
さらに地軸が傾き、地下に大変動が起きます。地層に蓄えられていた水が一斉に吹き出します。陸地が大陥没し、海底がせり上がり、高い山頂になってしまうという事態になります。南極や北極は一瞬にして凍ってしまったと想像されます。
ノアの洪水の後は地殻変動のため、自然災害が起きるようになり、地震、津波、台風などの天変地異が多発するようになったといわれます。また、水蒸気の層の保護がなくなったので、宇宙線により遺伝子が損壊され、病気が発生し、寿命が短くなる一因となったともいわれます。今はオゾン層によってかろうじて守られていますが、人類が自然破壊を続けるためにオゾンホールが生じ、健康被害が生じているようです。
これはある歴史学者が、旧約聖書と新約聖書を丹念に読んでから発した感想です。「聖書は唯一神と言っているが、旧約と新約では別々の神がおられるようです。どう考えても2人の神様がいらっしゃいます」というのです。もちろん神様は1人なのですが、2人いると言いたくなるぐらいの変化があるのです。
旧約の神様は、厳格な神様です。罪を犯した者には即刻裁きがあり、血を流すことなしに罪は赦(ゆる)されません。また、敵に対しても殺せ、滅ぼし尽くせという過酷な命令が与えられています。
新約の神様は愛の神であり、赦しの神です。太陽のように温かく包み込み、光を注いでくださる神様です。また「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)と教えておられます。
キリストの出現と十字架により、霊魂の世界において大変動が起こったのではないかと思います。しかし、この変革はキリストを信じる人には朗報です。キリストの十字架のもとに来るだけで、あるがままの姿を神は受け入れてくださるのです。
ある宗教学者が大変興味深いことを言いました。「世界の代表的な宗教というのは、ほとんどが紀元0年前後に発生しています。この時に何が起こったのだろうか」というのです。キリストの出現と十字架が霊界に大変動を及ぼしているのであれば、これは目に見えない世界の地球史的な出来事と言っていいのではないかと思います。
世界的な宗教といえば、ユダヤ教、キリスト教、仏教、イスラム教があります。すべての宗教がモーセの十戒を標榜し、キリストに感化されています。仏教が宗教の体裁を保つのは、使徒トマスがインド伝道に行った後です。一説によれば、日本の神道も古代ユダヤ人の影響を受け、原始キリスト教徒によって体系づけられたとされます。
ある宗教家が言ったように、モーセの十戒を否定する宗教があれば、それは宗教とは言えないと思います。また、キリスト教会には距離を持つ人も、キリストには敬意を払っています。やがて時が来れば「それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです」(ピリピ2:10、11)とある通りです。
第3の事象はこれから起こることですが、その予兆は世界各地であります。天変地異、戦争のこと、戦争のうわさ、飢饉などが起こりますが、それらは産みの苦しみの初めだというのです(マタイ24:7、8)。次世代に託して自分の命を懸けて生きたのが幕末の志士だったといわれますが、あのような意気込みで世界平和に挑む日本人が求められていると思います。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。(マタイ24:13)
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