元エホバの証人の方との対談記事を連載で書かせていただいています。前回は、イエス様の神性について伺いましたが、今回はエホバの名前や三位一体の理解について伺いました。インタビュアーである私はY、今回証言してくださる元エホバの証人の方はHと表記させていただきます。
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Y)今回はエホバという名前について考えてみたいと思います。日本のキリスト教内でも、一昔前の聖歌や文語訳聖書では「エホバの名前」が表記されていました。ところが今日の日本の教会では聖歌は改訂され、文語訳聖書が使われることも少なく、エホバという名前を日本の教会で聞くことは減っています。この名前に関するエホバの証人の方々の考え方はどのような感じでしょうか。
H)はい、神のお名前については、証人たちの一番こだわっている部分です。彼らも1984年までは他の教会と同じように文語訳聖書を用いていました。よって、彼らが教会に対して違和感を覚える部分でもあります。実は、彼らはエホバでもヤハウェでもヤーウェでもよいと考えていて、一般的にエホバという呼び方が定着していたからそれを用いていただけだと主張しています。彼らにとっては、祈る際に「天のお父様エホバ」と呼ぶことが、神様に対して最大限の親しみを込めた祈り方になっています。
Y)エホバという発音が正確ではなく、正しくはヤハウェであるとしてエホバの証人を批判する方もいますが、それは少しお門違いということですね。エホバの名とイエスの名については、以前に詳しく書かせていただいたことがあるので、以下を参照していただきたいのですが、一つポイントを言えば、マタイ28章の「父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け…なさい」という箇所の「御名」と訳されているギリシャ語(オノマ)が単数形であるということです。これは、日本同盟基督教団教育部編集の『聖書が教えている基本的なこと』という聖書入門(23ページ)に書かれています。
■ 三位一体の神様(7)神様の御名 山崎純二
■ 三位一体の神様(10)教義擁護策への警鐘2「エホバ」の御名と「イエス」の御名 山崎純二
H)はい、以前に拝見させていただきました。この箇所で、父と子と聖霊の御名が単数になっている点については説得力ありますね。この記事は、ぜひ現役の証人の方たちに読んでいただきたいです。彼らもマタイ28章の大宣教命令はよく用いる聖句ですが、その御名の意味を複数として教えるので、単数であることが事実だと知ったら目からうろこだと思います。ただ、この箇所でさえも2013年の新世界訳では改訂されているようです。
「父と子と聖なる力の名によってバプテスマを施し」(マタイ28:19)
三位一体を否定するために聖書そのものを書き換えようとするほど分かりづらい文脈になっているようです。他の聖霊の箇所も、聖霊を「聖なる力」に置き換えています。
Y)なるほど、聖書の訳のニュアンスが異なるのですね。ところで、Hさんご自身は、三位一体を理解される過程で、どのような労苦があったのでしょうか。
H)三位一体は一番難解でパラダイムシフトするのに10年はかかりました。最初の数年は三位一体に対して否定的だと取れる聖句の印象が強く、反三位一体を擁護する立場としての読み方でした。エホバの証人は、三位一体そのものというより、三位一体論を否定するところから入ります。例えば、三位一体論は教義として、父・子・聖霊に上下関係があってはなりません。しかし、イエスは「父は私より偉大です」と言われました。となると、立場的に等しいという論理が崩れます。だから三位一体論は間違っていると理由付けることが可能になり、エホバの証人はそこを指摘します。
さらに、三位一体論は使徒の時代には存在しておらず、西暦3~4世紀にニカイア公会議で、クリスチャンではないコンスタンティヌス1世によって制定された歴史を批判します。アリウス主義の少数派が、圧倒的大多数によって制圧されたかのような印象を持ちます(アリウス主義はイエスを被造物であると主張し、エホバの証人も同じ立場を取っています)。上記の通り、三位一体そのものではなく三位一体論や歴史上の出来事から批判することによって、三位一体は聖書の教えではないと結論付けようとします。
聖書そのものが何と言っているか以前のところでつまずくわけです。そこをクリアにするために助けになった最初のきっかけが、実は聖日礼拝の時に教会で唱和する使徒信条でした。なぜなら、この使徒信条は西暦160年ごろにはできていたとされていますが、この宣言は三位一体の告白を暗示しているともいわれているからです。これを毎週のように唱和する際、私としてはとても感慨深く感謝の思いに満たされます。教父たちの時代に三位一体という言葉が確立されていなかったとしても、使徒信条を通して3つ(父と子と聖霊)を1つとして神を信じていたことを表しているからです。
証人たちは、ニカイア公会議の歴史のことを主張し三位一体を否定しますが、それよりもずっと以前からクリスチャンがイエスを神と信じ、聖霊を人格的な存在と受け入れていた事実を知ったとき、私は三位一体論を否定する先入観を一度脇に置いて、三位一体についてクリーンな状態で聖書を読んでみようとの思いが与えられました。これが、まずは三位一体と反三位一体をフラットにして考えるきっかけになりました。
Y)三位一体そのものというより「三位一体論」を否定するというのは、非常に興味深いご指摘ですね。
H)ただ、この神学的な内容についてはとても重要で、神概念が混乱している数年間は祈るのがすごく難しかったです。それまでは「天のお父様エホバ」と父だけに語り掛けて祈っていたのが、”イエスも神で聖霊も神” との理解に至る過程の中で「神様」と祈る習慣さえなく、誰に対してどう祈っているのか分からない状態でとても苦しかったのを覚えています。また、個人的にだけではなく、子どもにも祈り方を教えられない時期が数年も続いたというのはしんどかったです。
Y)ありがとうございます。真剣に神様に祈ろうとするときに、神様の名や三位一体について整理することがいかに大切かが分かりました。
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さて、神様の御名に関してですが、「父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け…なさい」という箇所の「御名」と訳されているギリシャ語本文の言葉(オノマ)が単数形である事実に加えて、もう一つ大切なことを補足しておきたいと思います。以前にも書かせていただいた内容ですが、とても大切な点ですのでここで繰り返させていただきます。
それは、エホバの証人の方々が主張されているように、「エホバ」の御名が父なる神様の御名であり、その御名だけに仕えればよいのかという点についてです。もしそうだとした場合、「父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け(なさい)」というキリストの至上命令を受けた弟子たちは、エホバ(父)の名とイエス(子)の名と聖霊の名によってバプテスマを授けなければならなかったはずです。それでは、弟子たちが使徒行伝で実際にどのように人々にバプテスマを授けたかを確認してみましょう。
「そこでペテロは彼らに答えた。『悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦(ゆる)していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい』」(使徒2:38)
「彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていた」(使徒8:16)
「そして、イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるように彼らに命じた」(使徒10:48)
「これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた」(使徒19:5)
何と彼らは徹頭徹尾、イエスの名でバプテスマを授けており、エホバの名にはまったく触れていません。これはどういうことでしょうか。復活されたキリストの最後の言葉「至上命令」を弟子たちは軽んじたのでしょうか? なぜ彼らは、旧約時代に神様自ら宣言された御名である「エホバもしくはヤハウェ(יְהֹוָה)」の名を用いてバプテスマを授けなかったのでしょうか。
それを理解するためには、「イエス」という名の意味について考えなければなりません。この名は啓示によってキリストに与えられた名です(ルカ1:31)。そして、この「イエス」という名は、ヘブル語の「ヨシュア」という名をギリシャ語に音訳したものです。それでは、2つの名をヘブル語で比べてみましょう。
「יְהֹוָה」:エホバ/ヤハウェ
「יְהוֹשׁוּעַ」:ヨシュア/イエス
ヘブル語は右から読むのですが、最初の右から3文字が共通していることに気付かれると思います。それでは、「イエス」という名の左半分の意味は何かというと「運ぶ・救い出す」という意味です。つまり「ヨシュア/イエス」の名とは、「エホバは救い」という意味なのです。英語の聖書辞書では Jehovah-saved と解説されています(e-Sward H3091項参照)。弟子たちはエホバの名をスルーしたのではなく、イエスの名にエホバの名が内包されていたので、ただイエスの名でバプテスマを授けたのです。ですから、イエスというのは子の名前であり、父なる神の名前はエホバなのでエホバの名前だけで祈ればよいかといえば、そのように割り切れるものではなく、エホバという名とイエスという名は有機的につながっているということです。
最後にもう一点だけ、エホバの証人の方々向けに書かせていただき、終わりにしたいと思います。エホバの証人の方々は、一般のキリスト教会では「エホバ/ヤハウェ」の名前をまったく呼ばないと思っているということを聞きました。確かに減ってはいますが、まったく呼ばないわけではありません。先ほども言いましたが、一昔前の聖歌や文語訳聖書には「エホバの名前」が表記されていますし、韓国語などの聖書では、今でも「エホバの名前」が書かれています。長老たちがエホバの御名を唱えて神様に祈ることも珍しくありません。また、英語の賛美の中で「エホバ(Jehovah)」の御名をたたえるものもあります。つまり一般のクリスチャンたちの中でも、神様の名として、イエス様の名前と共に「エホバ/ヤハウェ」の名前を大切にしている人々は少なくないということです。
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