日本では、人は亡くなると「天国」に行くと考える人が多いように思います。特に根拠はないものの、死んだ後の世界に希望を抱く遺族の心を表しているのかもしれません。
確かに遺族にとって、大切な人が亡くなった後、「天国」で新しい「生命」を得、生き生きとしている姿を想像できてこそ、慰められ、希望をつなぐことができます。遺族の心は、そのような「生命」に満ちた「天国」を求めます。
聖書が指し示す「生命」に満ちた「天国」
江戸時代に定められた檀家制度によって定着した仏教葬儀は、現代社会においても葬儀全体の70パーセント近くを占めています。日本の仏教は、檀家制度が消えた後も、長年、葬儀文化を支えることで存続してきました。しかし不思議なことに、多くの人が希望をつなぐ「天国」のような存在は、そもそも仏教の中に存在しません。
仏教によれば、「生命」のあるものは輪廻転生を繰り返し、「生命」のある限り苦しみに遭うとされています。仏教による苦しみからの解放は、この輪廻転生から抜け出ることを指しています。仏教用語では「解脱」といいます。
つまり仏教の伝える解放は、「生命」から抜け出て、生きて味わうすべてのものが消えうせる「死」の中にあるとされるのです。後の時代になって、(おそらく聖書の影響によって)そこに「極楽」や「浄土」という明るい概念が追加されましたが、そもそも「死」が前提にあることに変わりはありません。
一方、聖書の伝える「天国」は、「死」から解放された「生命」の輝きが満ちる場所です。そして、日本人の抱く「天国」の希望も「死」の中にあるのではなく、聖書の伝える「天国」にある「生命」への期待が込められているように思います。
キリスト教葬儀は「天国」の希望を共有する場になる
キリスト教葬儀はそのような「天国」の希望を共有できる良い機会になりますが、実施件数が少ないため、一般の日本人にとっては体験し難いものになっています。
一般の葬儀社では、人気のない仏式の葬儀でも、顧客確保のため、さまざまなイベントを企画し、相談窓口を開いています。ところが、キリスト教葬儀となると、葬儀社自身が理解していないことも多く、説明会などの企画はほとんどありません。
一昨年のことですが、キリスト教葬儀を通し、地域の皆さんに「天国」の希望をお伝えしたいと願い、近隣にある教会堂をお借りし、模擬葬儀を開催しました。初めての企画でしたが、教会になじみのない方を含め大勢の方が集まり、大変恵まれたときになりました。
音楽家たちの協力を得て、賛美のあふれる模擬葬儀にしましたので、コンサートに参加するような感覚でキリスト教葬儀を体験していただけたと思います。もちろん、葬儀としても、すべて本番さながらに実施しましたので、「天国」の希望について十分共感していただけたと思います。
地域教会が日本の葬儀文化を担う
日本の地域教会の多くは、高齢化が進み、礼拝出席者も減少しています。存続が難しくなっているところもあります。教会は、地域住民が進んで集う場になっていないように思います。
しかし仮に、地域の教会がこのようなキリスト教模擬葬儀を定期的に開催し、実際にその教会堂を利用した葬儀相談会を催すなら、多くの地域住民が教会を訪れるようになるでしょう。
さらに、仏教離れの進む日本ですから、教会堂は地域住民の遺体安置、葬儀、納骨式、記念会にふさわしい祈りの場として用いられていくことでしょう。地域教会が日本の葬儀文化を担う時代が訪れるのです。
進んでキリスト教葬儀を選ぶ時代が来る
それぞれの家庭には檀家制度によって決められた「家」の宗教があります。しかし、核家族化が進み、キリスト教葬儀を選ぶ家庭は徐々に増えています。
最近、私たちのウェブ解析の結果、「キリスト教葬儀 地名」と検索している人が多いのに気付きました。今のところ、そのような検索をしても、大手の葬儀社しか見つからず、教会や牧師と伝手がないため、諦めてしまう人が多いようです。
しかしそこに、地域の教会からキリスト教葬儀の案内や葬儀相談会の案内が発信されるなら、事態は大きく変わることでしょう。教会は、次第に地域の人々が訪れる場となり、多くの家庭の祈りを支える拠点になるに違いありません。教会は忙しくなるでしょう。
私たちはそのような事態に備え、地域の葬儀社をはじめ、あらゆる事業者たちを用いて、教会の働きを強力にサポートしたいと思います。
地域住民のための祈りを導く牧師先生や教会の皆様からのご相談を心よりお待ちしています。
■ ブレス・ユア・ホーム(株)
代表・広田信也(電話:080・3645・8107)
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