優れたサーバントリーダーの生き方から学ぶ講演会が17日、オンラインで開催された。「生き方のモデル」として取り上げられたのは、牧師、社会運動家として知られる賀川豊彦。5度もノーベル賞候補に挙げられ、マハトマ・ガンジーやアルベルト・シュバイツァーと並んで「20世紀の三大聖人」として紹介されるなど、当時世界で最も知られた日本人の一人だった。講演会では、その生き方からサーバントリーダーシップについて学ぶとともに、賀川が行ったさまざまな活動や運動が、国際社会が掲げる「持続可能な開発目標」(SDGs)の先駆けとなる取り組みであったことなどが紹介された。
賀川豊彦の生涯
賀川は1888年、父が妾(めかけ)のかめとの間にもうけた子として神戸に生まれた。しかし、4歳までに両親を亡くし、姉と共に徳島の本家に引き取られる。父の正妻・みちに育てられるが、ひどいいじめを経験。そんな悲惨な幼少期を過ごした賀川の心に光をともしたのが、2人の米国人宣教師だった。特にハリー・W・マヤス宣教師は賀川をわが子のように愛し、その慈愛に神を感じた賀川は1904年に受洗。伝道者を志し、明治学院高等部神学予科に進学する。
その後、マヤス宣教師が教授に就任した神戸神学校に転校を決めるが、入学前に肺結核にかかり生死をさまよう。その時、賀川がささげた祈りが、「もしあなたが私を生かしてくださるなら、貧民街に入り、あなたの子どもたちに仕えます」というものだった。貧民街での奉仕は、賀川が日本の牧師の中で一番感化されたという長尾巻(まき)牧師、またメソジスト派の創始者であるジョン・ウェスレーの影響によるものだとされる。肺結核が治った後、当時21歳だった賀川は実際に神戸の貧民街に入り、極度の貧困に苦しむ人々への奉仕を始める。
貧民街では、救貧活動とともにキリスト教の伝道活動も熱心に行った。妻ハルとも出会い結婚するが、5年ほどで救済事業に限界を感じ、その突破口を見つけるために渡米を決める。プリンストン大学とプリンストン神学校で学んだ賀川は、3年弱の留学中に多くの経験を積み、活動を「救貧」から「防貧」にシフトする。この防貧活動の中核をなしたのが相互扶助の精神で、帰国後は労働運動、農民運動、協同組合運動などを展開していった。
サーバントリーダーシップと賀川豊彦
講演した日本サーバント・リーダーシップ協会の広崎仁一(ひとかず)理事は、賀川の生涯を概説しつつ、サーバントリーダーシップとの関係を説明した。
サーバントリーダーシップは、ベトナム戦争やジョン・F・ケネディ米大統領の暗殺、公民権運動などが起こった1960年代、リーダーたちに対する不信が広がった米国社会を背景にロバート・K・グリーンリーフが提唱した。「リーダー(指導者)」は何よりもまず「サーバント(奉仕者)」としての心と姿勢が大切だとする考えで、広崎氏はそれに加え、「経営活動におけるリーダーシップ哲学であるとともに、すべての人が目指すことのできる『生き方』そのものであり、その人の人格や価値観に深く根ざしている」と話す。
グリーンリーフは、従業員100万人と当時世界最大の企業だった米通信会社AT&Aでマネージメント研究センター長を務めた人物。キリスト教の一派であるクエーカーからも影響を受けていたという。ヘルマン・ヘッセの『東方巡礼』に描かれた物語に着想を得たものだというが、そのルーツは「偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕(しもべ)になりなさい」(マタイ20:26~27)と書かれている聖書にある。
グリーンリーフが考えをまとめ、エッセイとして出版したのが1970年。しかし、その半世紀近く前の1920年代に、賀川は「下座奉仕」の精神を提唱していた。これは、弟子ペトロの足を、師であるイエス・キリストが洗ったように、自らを低め他者に奉仕すること。広崎氏は「サーバントリーダーシップとはまさにこの下座奉仕の精神」と語った。
SDGsと賀川豊彦
「誰一人取り残さない」をスローガンに、環境問題や貧困問題という地球規模の課題解決を目指して掲げられた「持続可能な開発目標」(SDGs)は、具体的には17の目標で構成されている。広崎氏は、これら17の目標を、賀川が行ったさまざまな活動や運動の中に見いだすことができるとし、具体例を挙げて紹介した。
自ら貧民街に住み込み、救貧・防貧活動に徹した賀川の歩みは、まさに第1の目標「貧困をなくそう」を目指すものだ。また、貧民街に無料診療所を開設し、無医村をなくそうと東京医療利用組合(現在の新渡戸記念中野総合病院)を開設したのは、第3の目標「すべての人に健康と福祉を」に該当する。大気汚染に悩まされる社会を風刺した小説『空中征服』(1922年)は、環境問題に警鐘を鳴らすもので、第13の目標「気候変動に具体的な対策を」と関連する。
まずは「ミニ版」のサーバントリーダーに
賀川がさまざまな運動を幅広く展開できたのは、賀川の生き方に共感した多くのフォロワーたちがいたからだった。広崎氏は、聖隷福祉事業団を創設した長谷川保氏や、聖路加国際病院名誉院長だった日野原重明氏も、賀川の生き方をモデルにし、影響を受けた人々だと紹介した。
その上で、『サーバント・リーダーシップ入門』の著者の一人である金井壽宏(としひろ)神戸大学名誉教授の言葉を紹介。金井氏は「サーバントリーダーシップは、偉大で高潔な人がいなければ絶対に生まれないとは思わないでほしい。われわれに身近なミニバージョンがあることも知っておいてほしい」と話しており、広崎氏は「まずはミニ版のサーバントリーダーを目指しましょう」と参加者を励ました。