高齢化の進展に伴い、多くの人が自分はどのように老いていくのか? そしてどのように死んでいくのか? など、考えるようになりました。医療、介護の充実により、ある程度の弱さを抱えながら長寿を全うできるようになったことはありがたいことです。しかし、確実に「死」に向かう自分自身と長期間向き合うのは、簡単なことではありません。
自宅で最期を迎えたい
内閣府による「高齢者の健康に関する意識調査」の中に、最期を迎えたい場所についての表記がありました。これによると、自宅で最期まで過ごしたい人の数が圧倒的に多いことが分かります。
確かに高齢者にとって、病院に入院することは大きな負担となり、治療のために入院するにもかかわらず、慣れない入院生活の中で、心身の健康を損ねることや、けがをすることもあります。病院は、医療を提供する場ではあっても、死の弱さに向かう高齢者の生活の場としてはふさわしくありません。
最期まで自分らしく生きるために、多少の困難はあっても自宅で生活したいと考えるのは納得できるところです。
病院で亡くなる人が多い現実と課題
厚生労働省としても、医療費削減の対策として、今後、在宅医療を目指す方針を掲げていますが、病院で亡くなる人の割合は、現在でも70パーセントを超え、多くの人の願いから程遠い状況にあります。
このような状況を生む要因として、病院の医師と在宅医との連携の難しさがあります。医療環境の整った病院の医師にとって、リスクを承知で、設備の整わない自宅への退院を勧められない現実があります。
さらに自宅に戻るためには、看取りを担う同居の家族の存在が前提になる上、自宅に福祉用具を整え、在宅医、看護師、介護士、家政婦などの協力を得るなど、看取りに向けて周到な準備をする必要があります。
余命間もない母の退院と看取り
私事ですが、昨年秋、母が体調を壊し、検査の結果、がんの末期と診断されました。高齢のため手術は難しく、当面の生活のための簡単な処置を勧められ、そのまま短期間の入院になりました。
この時点で入院を断り、通院で対応できればよかったのですが、状況判断が難しく、病院の医師に勧められるまま入院を余儀なくされました。
高齢者にとって、生活環境の変化はさまざまな悪影響を与えます。コロナ禍の影響で面会もできない中、母は孤独と不安を覚えながら弱さを重ね、急速に心を病んでいったように思います。
足腰の弱っていた母ですので、トイレ介助を看護師に要請するように言われていましたが、せん妄状態の中、夜中に一人でトイレに向かい転倒し、ショック状態から心停止に至る事故が起こりました。幸い、駆け付けた医師の緊急処置で蘇生に至りましたが、体調はさらに悪化していきました。
短期間の入院のつもりでしたが、その後、病院の医師から、退院が難しくなったとの説明を受けました。
私たちとしては、余命少ない母を何としても自宅に戻したい一心でしたので、私自身が両親宅に移り住み、自宅での医療、介護、看取りのため、在宅医との相談、介護ベッドや介護事業所、訪問看護ステーションなどとの連携を急いで整えていきました。
病院の反対を押し切って退院した後、母が召されるまでわずか1カ月しかありませんでした。おそらく入院を継続すれば、もう少し余命を伸ばすことができたのでしょう。しかし、退院した後、入院中に生まれたひ孫との対面をはじめ、精いっぱいの家族との温かい時間を過ごせたことは大変ありがたいことでした。
心を支える善き隣人が必要
自宅での看取りには、確かに周到な準備が必要です。現代の日本社会に備えられる介護福祉の仕組み、そして何より、それらの仕組みを担ってくださる専門家の皆さんの存在は大変ありがたいものです。
そして、同時に思うことは、核家族化が進み、看取りを担える家族が少なくなったため、看取りを担う決断をした同居の家族を支える「善き隣人」の存在が大切になってくるという点です。
それらの存在は、いざというときに突然備えられるものではなく、日頃から、家族親族、友人、近所のお付き合いなどから生まれてくるものの他、信仰によって育まれる「善き隣人のネットワーク」が存在すれば、大変ありがたいものになります。
完全非営利型一般社団法人「善き隣人バンク」の創設
このような経験の後、今年の1月に、かねてより準備を進めてきました完全非営利型一般社団法人「善き隣人バンク」を創設することになりました。
今後、自宅で最期まで過ごしたい人々の支えになれるよう、全国に備えられる「善き隣人」のネットワークを充実させたいと願っています。本年度の本格稼働に向け、ホームページの準備を進めています。多くの皆様のご参加、ご支援を期待しています。
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