私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。・・・「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。(1テモテ1:13~16)
今日の聖書箇所は、パウロが弟子のテモテに送った信仰の導きの手紙であります。パウロの指導の基本を、彼自身がクリスチャンとして受けた恵みを、喜びを持ってテモテに対して証ししています。3つのことを今日の聖書箇所から見いだしたいと思います。
1. 弱く足りない情けない罪人の自分
パウロは、主キリストの教会を迫害し、自分は正しいと信じながら、いつの間にか悪魔にもて遊ばれ神に背き、ステパノの殉教に荷担する、とんでもない罪人として生きていたことを認めています。
2. 救い主イエスにより変えられた自分
ダマスコへの旅の途中で、彼はイエスと出会います。これにより、「救い主が私の罪を身に背負い十字架にかかって死んでくださった! キリストは罪人を救うために本当にこの世に来てくださったのだ! あの十字架にかかられたイエスは救い主キリストなのだ!」とパウロ自身が信じて救われたのでした。
私たちが毎週喜んで教会に通い、クリスチャンとして神を喜び、永遠の命、天国に向かって歩ませていただけるのも、私たちの努力や心の清さ、決意の固さによるのではなく、すべてイエスが、あなたの罪を背負い、十字架で死んでくださったからに他なりません。このことをはっきりと告白しましょう。
3. 主の証し人として歩む自分
キリストと出会い信仰告白をしたパウロは、神によって大きく変えられました。キリストを迫害した中心人物であった彼が、なんと全世界を伝道して歩く初代教会を代表する伝道者とされ、新約聖書の多くの部分が彼によって書かれるようになりました。
どうしてこのようなことが彼の身に起きたのでしょうか。今後、彼の後に続く人々が、どんな罪人であっても救い主イエスと出会うとこんなにも変えられ、そして、神を信じると神からの計画、ビジョンにより、これほどまで用いられるようになる、という模範となるようにパウロは作り変えられたというのです。
これを聖書の中のパウロだけの物語に終わらせてはなりません。私たちの人生は、キリストを証しし、誰かの模範や見本になれるように、どんなに弱さや足りなさがある者でも用いられることを感謝しましょう。パウロが語っている彼の体験は、あなた自身も体験できることなのです! この神からの大きな恵みをしっかりと受け止めて今週も前進してまいりましょう。
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