国際基督教大学(ICU)名誉教授の武田清子(たけだ・きよこ、本名・長清子=ちょう・きよこ)さんが12日、老衰のため召天した。100歳だった。故人の意思により、葬儀は家族で営まれ、後日偲ぶ会が開かれる。米留学時には、ラインホールド・ニーバーやパウル・ティリッヒらに師事。日本初となる世界教会協議会(WCC)会長を務めたほか、アジアキリスト教主義高等教育合同理事会(UBCHEA)理事などを歴任した。
1917年兵庫県生まれ。神戸女学院に進み、38年受洗。39年交換留学生として渡米し、オリベット大学、コロンビア大学、ユニオン神学校でキリスト教倫理学、宗教哲学、社会学を学ぶ。日米開戦に伴い42年、第1次日米交換船で評論家の鶴見俊輔や経済学者の都留重人らと帰国。46年丸山真男や都留、鶴見ら6人と雑誌「思想の科学」を創刊し、戦後日本のオピニオンリーダーの1人として活躍した。58年東京大学文学博士。
ICUでは53年から勤務し始め、61年同大教授(思想史、教育思想史)、同大教養学部長、同大大学院部長、同大アジア文化研究所所長などを歴任。88年同大名誉教授、名誉人文学博士。アジア文化研究所時代には、日本を含む「アジアの近代化とキリスト教」をめぐる数多くの研究プロジェクトを企画、後輩を指導しながら貴重な業績を相次ぎ公刊した。
この他、米国のプリンストン大学協力研究員、ハーバード大学協力研究員、英国のオックスフォード大学セント・アントニース・カレッジ客員教授、日本教育哲学会理事、日本イギリス哲学会理事、聖路加看護大学理事、日本比較思想学会評議員、宗慶齢日本基金会理事長などを歴任した。
主な著書に、『人間観の相剋(そうこく) 近代日本の思想とキリスト教』(59年)、『土着と背教 伝統的エトスとプロテスタント』(67年)、『背教者の系譜 日本人とキリスト教』(73年)、『正統と異端の"あいだ"』(76年)、『天皇観の相剋』(78年)、『日本リベラリズムの稜線』(87年)、『峻烈なる洞察と寛容 内村鑑三をめぐって』(96年)、『植村正久 その思想史的考察』(2001年)、『湯浅八郎と二十世紀』(05年)など。
夫は経済学者で東京外国語大学長を務めた故・長幸男さん。なお、遺族は花料・供花・供物を辞退している。