スヌープ・ドッグをご存じだろうか。米国ではラッパー、シンガー、俳優、プロデューサーとして大変有名なアーティストだ。私のようにヒップホップに興味がない人間でも、彼がラッパーであることと名前ぐらいは知っている。
それだけの有名人であるにもかかわらず、ネットで検索すると出てくるキーワードは「ギャング」「殺人容疑」「逮捕」「有罪」「コカイン」「暴行」「保釈金」などイメージの悪い言葉ばかり。そんな男が、このたび初のゴスペルアルバムを制作したというから、驚きである。その名も「バイブル・オブ・ラブ」。しかも、リリース直後にビルボード誌のゴスペルチャートで1位になったのである。当然、米国のメディアはこのニュースに飛び付き、話題になった。
ユーチューブでも、アルバムの公式プロモーションビデオは再生回数が160万回を超えている。3月16日にリリースされてから約1カ月がたった。果たして反響はどうなのだろうか。流行に敏感なニューヨーカーへのインタビューも含め取材してみた。
まず、米東部最大のゴスペル音楽イベント「マクドナルド・ゴスペルフェスト」のリハーサル会場に来ていた人たちにコメントを求めてみた。会場となったハーレムのマクドナルド店内には30人ほどいただろうか。みんな教会に通い、ゴスペルを歌っているアフリカ系米国人のクリスチャンたちである。当然、スヌープ・ドッグのゴスペルアルバムについて知っているだろうと思いきや、これが半分以上の人が「聞いていない」と答えた。これでまず拍子抜けした。
実際に聞いたことがあるという人にコメントを求めると、「う~ん、まあOKなんじゃないの? でも、それ以上のコメントはないわ」(20代女性)、「どうせ売名行為だと思うよ。彼はお金になるなら何でもやるから」(20代男性)、「神様を馬鹿にしているよ」(20代男性)と、かなりネガティブな意見ばかり。そんな中、ケイラブ・ジョセフさんだけが顔出しOKで、丁寧に答えてくれた。
「音楽的には素晴らしいアルバムだと思ったよ。でも、それは録音しているアーティストが素晴らしいからさ。スヌープがやろうとしていることは分かるけど、何かが足りない。クリスチャン的に言うと『油が注がれていない感じ』かな。彼はやっぱり企画しただけなんじゃないかな。一つ一つの音楽は素晴らしいけど、そこには彼の神様に対する真摯(しんし)な気持ちは入っていないような気がする」
確かに米国人の一般的なコメントはネット上でもかなり厳しい。「神様まで商売に使うなんて、信じられない!」「神様とマネーゲームするなよ!」「スヌープは、悪魔に魂を売った男だ。そんなやつのゴスペルなんて絶対に聞くな!」「彼の神は『悪魔』だ!悪魔の音楽にだまされてはいけない!」など、ここで紹介できないような、かなり下品なコメントもたくさん飛び交っている。私が通う教会でも意見を募ったが「興味がない」あるいは「知らなかった」と答えた人が9割。「どうせ金儲けのためだろう?」と、かなり厳しい意見ばかりだった。
しかし、音楽関係者の評価は高い。たとえば、インタビューをしたリハーサル会場でも音楽関係者のコメントはまったく逆だった。
「彼は頭がいいね! プロデューサーとしてすごく優秀な人物だと思うよ」(ジェームズ・ウィリアムズ=音楽ディレクター)
「素晴らしいプロジェクトだと思ったよ。それに、この作品を通して若い人たちが神様のメッセージを聞くんだからね。凄く良いことだよ。これがきっかけになって、ゴスペル音楽を聴く人が増えるはず。楽しみだね!」(スコット・カンバラバッチ=ミュージシャン)
私自身はスヌープに興味があったわけでもないのだが、やはり初ゴスペルアルバムでビルボード1位と聞けば気になる。録音にはソウルミュージック界からパティ・ラベルやフェイス・エバンスなどの一流どころ、ゴスペル界からもクラーク・シスターズ、タイ・トリベット、メアリー・メアリー、フレッド・ハモンド、マービン・サップなど一流アーティストが参加している。それぞれの楽曲にアーティストの良さがきちんと生かされており、いろいろな音楽スタイルの楽曲が30曲以上も収録されている。最後までリスナーを飽きさせない素晴らしいアルバムだと思った。それに2枚組CDで約15ドル(約1600円)! オンライン上だけでなく、ウォルマートなどの巨大スーパーでも販売している。彼のファンでなくても興味本位で思わず手に取ってしまうのではないだろうか。
とにかく、意見が真っ二つに割れている。好意的な意見を出した音楽関係者たちは「音楽のクオリティー」を純粋に評価している。私が感じた通り、作品としては素晴らしいのである。だから売れるだろうし、ゴスペル音楽の賞レースでも結果を出すのではないかと思う。
それに対して、ネガティブな意見を出している人たちは、作品の質について語っているのではない。スヌープを信用していないのだ。同じ作品を別の人間がプロデュースしていたら、彼らは音楽関係者と同じように高く評価したことだろう。つまり、スヌープが作った作品だから聞きたくないのだ。
私が取材を始めた4月8日の日曜日、ドニー・マクラーキンが日曜礼拝のメッセージの中でスヌープ・ドッグについて言及している。「ステラ賞のステージの舞台袖で今話題のスヌープ・ドッグに会ったんだよ。彼は僕を見て『凄く緊張しているんだ』と言ったんだ。だから『君ほどたくさんのステージを踏んでいる人が、なぜ緊張するんだい?』と聞いたんだ。そしたら『だって、観客はゴスペルの人たちだもん』と答えたんだ。そして『ハグしてもいいか?』って僕に聞いたんだ。だから僕は彼をぎゅっと抱きしめたんだ。香水の匂いがプンプンしている彼の体をね!(笑)」
スヌープの初ゴスペルアルバムは、多くのクリスチャンの発言どおり「神を畏れぬ不届き者の行為」なのだろうか。ジーザス(イエス・キリスト)は「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」と言った。スヌープにはジーザスが必要だったのかもしれない。それが彼の初ゴスペルアルバム制作の理由であってほしいと思った。音楽に罪はない。
米国の人気テレビ番組「ジミー・キンメル・ライブ!」(ABC)にもスヌープが出演するとの案内が、ゴスペル音楽協会(GMA)から届いた。全米がスヌープのゴスペルアルバムに注目しているのは間違いない。今後のスヌープの行動から目が離せなくなった。
■ スヌープ・ドッグ「バイブル・オブ・ラブ」
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