宮本純子さん(シャローム教会牧師)は、ユダヤ人伝道の働き「エターナル・ラブ・イスラエル」を1993年から始め、イスラエル宣教師だった期間も含めて14年間、ユダヤ人に福音を伝えてきた。2007年から結婚と子育てのため、一時休止していたが、昨年夏、10年ぶりに活動を再開した。
日本でユダヤ人に福音を
現在、法的な規制で見かけなくなったものの、1990年代、駅前や商店街でアクセサリーなどを販売する外国人がおり、その多くがユダヤ人だった。母国イスラエルでの兵役を終えた若いユダヤ人が、世界中を旅しながらストリート・ショップを開いていたのだ。
宮本さんは彼らにヘブライ語のトラクトや聖書、また夏には缶ジュース、冬にはホッカイロなどを手渡し、福音を伝える活動を続けてきた。日本ではヘブライ語を目にする機会はめったにないため、とても喜ばれたという。
その後、宮本さんは聖契神学校で学び、卒業後は世界宣教研修センター(WMTC)の第1期生として半年間、訓練を受けた。そして99年、宣教師としてイスラエルに渡る。
エルサレム旧市街にあるクライストチャーチは、150年以上前に、聖公会のユダヤ人伝道団体CMJ(Church's Ministry Among Jewish People)によって設立された教会だが、宮本さんはそのゲストハウスで奉仕をしながら、個人伝道や路傍伝道をした。日本で知り合って帰国していたユダヤ人とも積極的に連絡を取り、中には現地のコングリゲーション(教会)につながって洗礼を受けた人もいたという。
ユダヤ人の痛みを知るために
宮本さんが教会に通うようになったのは思春期のこと。中学1年の夏に両親が離婚し、転校先の学校でひどいいじめに遭う中、近所にあった教会を見つけ、礼拝に出てみた。そこで、「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」(ヘブル13:5、新改訳)という聖書の言葉に出会い、毎週、教会に通うように。そして、16歳の時に洗礼を受けた。
いじめは高校まで6年間も続いたが、人々からあざけられたキリストの姿を思いつつ、どんなに嫌なことがあっても学校は休まなかった。そして、自分を十字架につけた人々のために赦(ゆる)しを求めたイエスのように生きたいと願い、どんなにいじめられても笑顔で耐え、いじめっ子のために祈った。
しかし、悲劇は続いた。高校卒業後、幼い頃からの友人が飛び降り自殺をし、ストーカー被害に遭っていた母親も殺され、宮本さんがかわいがっていた愛犬も生き埋めにされた。一度に多くの大切なものを失い、抜け殻のようになった宮本さんは、死に場所を探すような思いで、母親と来た思い出のある遊園地を訪れた。観覧車に乗り、ゴンドラが頂上に達したとき、車も建物も人間も何もかもが小さく見えた。その時、ふと思った。
「神様はこの地上のすべてをご存じだ。人間がいかに罪深いかも。それなのに神様は、こんなちっぽけな罪深い一人一人を愛しておられる。母を殺した犯人のことも。そして、私のことも」
そして、自分が経験したすべての痛みは、迫害に満ちた悲しい歴史を持つユダヤ人を心から知るためだったと気付いたという。宮本さんが通う教会では、長年、ユダヤ人の救いのために祈っており、宮本さんの心にはいつもユダヤ人への思いがあったのだ。
「私が受けた試練の数々は、ユダヤ人の心に今も深く残る痛みや悲しみを理解するため、神様から与えられた大きなプレゼントでした。すべては神様の深い摂理だったと心から感謝しています」
セカンド・ステージの始まり
10年の休止期間を経て「セカンド・ステージの始まり」と意気込む宮本さん。昨年11月には、イスラエルの名所を描いた聖地画のポストカードを発売した。それまで1年に1枚ずつ、宮本さんが時間をかけて描いてきた作品だ。
今後はユダヤ人観光客にヘブライ語のトラクトを配り、留学や観光で来日するユダヤ人のホストファミリーとなる活動を中心に行うという。日本人がユダヤ人を伝道する利点について、宮本さんは次のように話す。
「日本はユダヤ人にとって遠い国で、日本人がユダヤ人を迫害した歴史もないため、アプローチしやすい。そして、日本は仏教や神道の国という印象が強いので、『私はクリスチャンです』と言うと、『なぜ日本人なのにイエスを信じるの』と質問されます。こうした質問の受け答えから伝道の機会が与えられるのです」
活動が軌道に乗れば、メシアニック・ジュー(ユダヤ人クリスチャン)を講師とした講演会やイスラエルのための祈祷会も開催する計画だ。また志願者がいれば、イスラエルに宣教師を派遣し、自身の経験を生かしてサポートしていきたいと話す。
■ エターナル・ラブ・イスラエル
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