文芸評論家の若松英輔さんと、「風」編集長でノートルダム清心女子大学副学長も務める山根道公(みちひろ)さんによる連続対談「遠藤周作と井上洋治」シリーズの2回目、「遠藤周作『深い河』から宮沢賢治へ―死者との交わり」(主催:風の家)が15日、四ツ谷・幼きイエス会ホール(東京都千代田区)で開催された。
主催の「風(プネウマ)の家」は、福音の喜びを日本人の心に響く日本語に凝結させることに生涯をささげたカトリック司祭の井上洋治神父(1928~2014)が1986年に創設し、定期的に機関誌「風」を発行している。井上神父と遠藤周作は若い頃から親交を結び、日本文化に根ざしたキリスト教を開拓することが2人の共通のテーマだった。井上神父は、小説『深い河』の主人公・大津のモデルでもある。
同シリーズでは、その『深い河』に描かれたテーマを毎回1つずつ取り上げながら作品を読み解くことを4回にわたって行っている。前回取り上げたのは映画「沈黙」で、その問い掛けに『深い河』が応えていることを見た。今回は、『深い河』の中にある現代社会へのメッセージと共鳴する宮沢賢治を取り上げた。
宮沢賢治と遠藤周作とは一見関わりがないように思えるが、『深い河』と『銀河鉄道の夜』には互いに響き合うものがあると山根さんは話す。『深い河』は、遠藤作品の中では完成度が高くないにもかかわらず、読む人に感動を与えずにはいられない。一方、『銀河鉄道の夜』も未完成の作品だ。このことは、文体や表記が完璧な文学イコール人の心に深い感動を与える文学とは限らないことを示す。
2作品の共通点として、作者それぞれが信仰する宗教(遠藤はカトリック、賢治は法華経)とは違う宗教を背景にしていること、重要な意味を持つのが「川」であることを挙げた。『深い河』のガンジス川はインドで聖なる川とされ、『銀河鉄道の夜』で親友のカムパネルラが子どもを救うために飛び込んだ川は天上の銀河、天の川とつながっている。
山根さんは、2人が大切な人を亡くしていることにも注目する。遠藤は母と兄を、賢治は最愛の妹トシだ。そして遠藤が、「死が大切な人と再会できることであれば、恐ろしいものではない」という思いを語っていたことを伝え、死者に迎えられた世界につながっていく思いで『深い河』を書いたのではないかと話す。そして、「死者とつながることを現代人は見失って生きているが、物語がそのことを回復してくれる」と、物語が持つ力について語った。
「(『銀河鉄道の夜』の主人公)ジョバンニにとって、地上で『ほんとうのさいわい』のために生きることが、カムパネルラと一緒に生きることであり、賢治にとっても妹トシと共に生きることだ。それは、現実を超えた次元で生きるということであり、『深い河』の登場人物も、現実を超えたもう1つの次元につながっている。遠藤周作もまた、この世界とは別の次元があり、そこに自分を迎え入れてくれるという思いの中で『深い河』を書いている」
「生きている死者」をテーマにさまざまな執筆や講演活動を行っている若松さんは、「2つの作品は光となって、私の大切な亡くなった人につながっていく道を照らしてくれる」と語った。そして、2つの作品の内面世界を探っていくことの大切さを述べ、「遠藤周作は、『深い河』に書ききれない何かを書くために、この本を書いたのではないか。そうであれば、この本の意味は違ってくる」と話し、『深い河』に読み取れるイエス・キリストの存在を伝えた。
山根さんも、『深い河』で亡き妻を探す磯部が、3次元の世界では見つけることができず、結局、自分の中にいたのに気付いたことついて、「実際に触れ、そのぬくもりを感じることはできなかったが、次元を超えたところで亡き妻とずっと一緒だった」と話した。また、妻が生きている時には分からなったが、亡くなった時にその愛情を知り、亡き妻を捜す旅に出た磯部を、イエスのそばにいながら十字架の死と復活があるまでその愛を理解できずにいた弟子たちと重ね合わせて、そこにキリストのまなざしが描かれていると語った。
若松さんは言う。「死は、別れという関係を結実させるもので、大事な人との関係が壊れるわけではない。関係の完成ではないのは、われわれはこちら側の世界に生きていて、関係が変わっていくからだ。また人は、出会った人としか別れられない。『深い河』も『銀河鉄道の夜』も、出会った人とだけ別れている。別れを経験する一方で、生きることは悲しいことだということを確かめていく。このことを2つの小説は教えてくれる」
山根さんも次のように語った。「別れても絆は残り続ける。生前には気付かなったことが、死によって悲しみを背負うことで、絆はどんどん深まる。イエスの弟子たちの関係も、イエスが生きている時は地上の次元のことで、イエスのためにいのちをかけることは実際にはできなかった。それが、イエスが死んでいった後、絆が深まることになった。死は終止符をもたらすのではなく、新しい関係を生むことであり、このことが2つの小説の通底するテーマだ」