映画「沈黙」が1月下旬に公開され、多くの人々を魅了した。この作品の原作者、遠藤周作は1963年から24年間、東京都町田市に住み、96年に亡くなると、遺族は同市に多くの遺品、蔵書を寄贈。このことがきっかけとなり、2006年、町田市民文学館ことばらんどがオープンした。
同館では開館10周年を記念して12日、遠藤の弟子で作家の加藤宗哉氏による講演会「いま読みなおす『沈黙』」が開催された。加藤氏は慶應義塾大学在学中に同大ゆかりの文芸雑誌「三田文学」に参加し、遠藤に師事。1997年から2013年まで同誌の編集長も務めた。
講演の冒頭、加藤氏はこのように話した。
「映画『沈黙』を観て、遠藤先生にも観てもらいたいと痛切に思った。スコセッシ監督は、原作者の意図をほぼすべてくみ取ってくれたと思う。スコセッシ監督と遠藤先生の魂が同一、仲間、兄弟のような・・・そんな感覚さえ覚えた。きっと遠藤先生も喜んでいるに違いない」
『沈黙』を発表して数十年経ったころ、遠藤は同作の舞台となった長崎を旅した。その後、インタビューの中で、「私はこの作品を書くのに2つの間違いを犯した」と述べたという。
まず、タイトルを『沈黙』にしたこと。当初、遠藤は「日向の匂い」といった全く違うタイトルを付けていたが、出版元の新潮社の編集者からこの「沈黙」を打診され、承諾したという。「『沈黙』というタイトルによって、この小説があたかも『神の沈黙』であるかのような印象を読者に与えることになってしまった。もし私がまたこの小説を書いたとしても、絶対に『沈黙』とは付けないだろう」
2つ目は、この小説の巻末部分。物語が終わると、「切支丹屋敷役人日記」という文章が続くが、あまりにも古めかしい資料のような文章のため、多くの読者はここで読むのをやめるのだという。しかしこの部分に、1度転んだロドリゴのその後などが詳しく書かれている。ロドリゴは信仰を捨ててはいなかったのだ。遠藤は「あの日記の部分も小説に入れ込むべきだった」と述べたという。ちなみに、スコセッシ監督は映画でその最後の箇所まで表現している。
同作は66年の単行本刊行時、約70万部を売り上げ、大ヒット作となったが、今もなお売れ続け、今年、文庫の発行部数が累計200万部を突破した。なぜ、「信仰」や「神」をテーマにしたこの作品が広く日本人読者の心をつかんだのだろうか。
当時の新聞は、「学生運動に挫折した人々がこの小説に共感し、多くの読者となった」と書いたが、加藤氏は次のように見ている。「これは暗くつらい話だが、それは『人間の悲しみ』とも言える。ロドリゴの悲しみ、何度も裏切りを繰り返すキチジローの悲しみもまた、人の心をつかむ要素だったのではないだろうか」
実は「悲しみ」は遠藤の大きなテーマの1つ。遠藤は晩年、大病を患い、特に『深い河』を書き上げてからの生活は、言葉も話さない、笑うこともないというつらいものだった。後に長男、龍之介氏は、「この頃の父親の顔は、まるであの人のような顔だった」と話したという。「あの人」とは、踏み絵の中のキリストである。
そのような中、見舞いに訪れた加藤氏に遠藤は次のように心情を吐露する。「俺が勉強ばかりしてきたことは、お前も知ってるよな。俺は『人間の悲しみ』が書きたいんだよ。まだ書きたいんだ」。これを聞いて加藤氏は胸を突かれたという。
『沈黙』に登場する人物は、ロドリゴやキチジローだけでなく、皆、悲しみを抱えている。そうした悲しみへの共感が遠藤文学の中にはあって、読者はその部分に感動を覚えるのではないかと加藤氏は分析する。
「遠藤周作を一言で表現するなら、『真面目な人』。一方で、それだけでは相手を苦しくさせることもよく知っていたので、おどけるようなサービス精神も持ち合わせていた」
狐狸庵先生としてのユーモアエッセイやさまざまなタイプの作品を書き続けてきた遠藤だが、『沈黙』や『深い河』などの書き下ろし長編こそ自分の本職だったと自己分析している。そのどれもが非常に暗くて、真面目で、悲しみを題材にしたものだった。マスコミなどではおどけた一面が取り上げられることも多かったが、本質は真面目で悲しみを背負った人だったのだ。
最後に加藤氏は、『沈黙』の大きなテーマとして、「弱い者の強さ」と「弱い者を包み込む母のような神の存在」について話した。
遠藤は母親に大きなコンプレックスを持っていた。小説家としてデビューしたのは、母親が亡くなって2年後。何の親孝行もできないままだったと、生涯悔いていたという。その遠藤が初めて母の愛と神の愛を重ねて描いたのが『沈黙』だった。加藤氏によると、『沈黙』以降、このような傾向は徐々に強くなる。遠藤にとって母なる愛を持つキリストは、弱い者を抱きしめ、赦(ゆる)してくれる存在だったのだ。
西洋から伝わったキリスト教を日本人である自分が信仰することを「だぶだぶの洋服を和服に仕立て直す作業」と表現し、生涯、それを問い続けた遠藤周作。没後21年経った今年、日本で生まれた『沈黙』が、西洋人であるマーティン・スコセッシによって映画化された。小さな和服が世界に向けて仕立て直されたのを観て、遠藤は照れ隠しにおどけながらも、何と語っただろうか。